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再会 [旅]

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 その家の前に着くと、彼女は庭先で忙しく洗濯物を干しています。彼の姿は見えませんが部屋からは音楽が聞こえています。音楽を聞きながらコーヒーを飲んでいるのでしょう、それとも絵を描いているのでしょうか。


 そんな想像をしながら20代の頃、何年かをいっしょに過ごした友人夫婦の家に向かいました。彼らは中野区弥生町に住んでいたのですが、私が帰郷して数年後、今の埼玉県飯能市に住まいを移したのです。


 その住居を訪ねるのは、これで三回目になります。今回訪ねるのはほぼ20年振りです。初めて訪ねたとき、hataさんと娘さんが自転車で迎えに来てくれたのを思い出します。その頃小学生だった娘さんは今では30代になっているはずです。


 池袋から約一時間、西武池袋線のその駅は、二十年前に訪れたときとあまり変わっていないように見えました。駅の回りには地味で小さなお店が数えるほどあるだけ駅前の賑わいはありません。


 わずかな記憶を辿って駅前の道を左折、少し坂になった西武線の踏切を越えます。そこからはスマホのナビに登録してある住所をその案内に従って歩き始めました。途中小さな小川沿いの小道があってそこを通った気がするのですが、ナビはそのまままっすぐの広い道を案内します。


 通り過ぎてから気になって戻ると、ナビが小川沿いの経路を示しました。それでそちらの経路を選択、その後はあまり自信がなかったのでナビの案内に従って歩くことにしました。


 ナビに案内される道は私の記憶にかすかに残っている神社のある森がいつまでたっても見えませんでしたが、二十分ほど歩くとなんとなく覚えのある街並みが見えてきました。


 そのあたりは、郊外と言っても私たちの田舎とは違っていました。起伏はありますが山はありません。畑と住宅が交互に散在し、昔田んぼだったのか、名残の水路がいくつか流れています。


 薮や雑木林はありませんが家々の木々に野鳥の影が忙しげに飛び交っていてのどかな雰囲気です。賑やかなのはどこにでもいるヒヨドリです。折から庭に咲いた紅梅にメジロらしい鳥影が見えました。 


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 この辺とおぼしきところで、スマホのナビが迷いました。同じ様なところを行ったり来たりしている間に、ようやく彼らの家を見つけました。以前より回りの住宅が増え、街並みが少し変わったように思えましたが、その家に続く細い路地に面影が残っていました。


 彼らの家は、昔見たときに比べて当然幾分くたびれて見えました。そして私の想像と違って、家の前で洗濯物を干す人の姿もなければ、音楽も聞こえず家はひっそりと静まりかえっていました。


 玄関の呼び鈴を押しましたが反応はありません。ドアの取っ手に触れて見ましたがしっかりと鍵が掛かっていました。


 実は、今回の訪問、何も連絡せず全くのサプライズの訪問でした。ひょっとしたら留守の可能性もあるとは思っていたのですが、まさか本当に二人ともいないとは。


 十分あり得ることなのにいざ直面してみるとちょっとショックでした。芸術家の彼らのことだから家にいるだろうと、高をくくっていたのが間違いでした。もちろん今更電話してみても留守電のアナウンスが応答するだけ、転送はセットされていませんでした。


 時刻はほぼ十一時です。ひょっとしたらお昼には帰ってくるのではないかと思いました。せっかく来たのだから昼まで待ってみよう。それで誰も帰ってこなかったら仕方ありません。東京に戻ってジャズ喫茶巡りの続きをしようと思いました。


 帰ってこない可能性があるので、京都の新幹線駅で買ってきた手土産をドアノブに引っかけることにしました。メモを挟んでおかなければと、鞄の中を探ってメモ帳を取り出しましたがペンが見つかりません。


 そのあたりは完全な郊外の住宅地で駅からそこまでの道のり、コンビニどころか何かのお店らしき看板さえ見かけませんでした。スマホで探してみたら歩いて十五分くらいのところに一軒コンビニがありました。


 コンビニまで往復三十分を費やしたので、少し待つ時間が減りました。メモを書いて所在なげに玄関先で待っていました。昨夜の雨は一旦止みましたが、空はまた今にも降り出しそうな曇り空です。


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 どれくらいそうしていたでしょうか、十二時が近づいていよいよ駄目かと思っていると、自転車に乗った年配の女性がやってきました。手前で自転車を降りると、何か落としたのかかがみ込んでいます。髪が赤くマスクをしています。


 近所の方だろうと思って視線を外して知らぬ振りをしていると、突然「どうしたの、どうしてここにいるの」と聞き慣れた声がします。なんとその人が友人の奥さん、kahoさんでした。


 髪を赤く染めてマスクをしていたので全くわからなかったのです。彼女は再会を喜ぶより驚きの方が大きかったらしく、もう一度「どうしたの、どうしてここにいるの」と繰り返し、続いて「なんで連絡してくれないのよ。今日は駄目なのよ、私もhataさんも」


 彼女は昔から自分の連れ合いのことをhataさんと名字で呼びます。これから彼女は草木染めの展示会があり、hataさんは絵を教えていて、今も出かけているところで午後も用事があるとのことでした。


 私は、突然で申し訳なかったわびを言い、元気な姿が見たかっただけ、無事会えて良かったと言いました。彼女は今の住居は寝泊まりしているだけで、別にアトリエを借りているのでそこへ行こうと自転車を押して案内してくれました。


 道すがら「少し年取ったけれど、変わらないね」と彼女は安心したように言いました。そして、また、今日は駄目なのよほんとうにと、突然押し寄せた私の方が悪いのに、申し訳なさそうに何度も繰り返すのでした。「ほんとうにもっと暇にしている時もあるのにね」と、さも残念そうにつぶやきます。


 私たち三人は、当時何をするのもいっしょの時がありました。映画を見たり、ちょっとした旅をしたり、喫茶店や展覧会に行ったり、「名曲喫茶らんぶる」を見つけてきたのは彼女でした。


 彼らのアパートを訪ねると、hataさんといつも音楽や映画や文学や絵画の話をして過ごしました。その間、彼は、手で引いたコーヒーを何杯にも薄めて入れてくれるのでした。そして夜にはいつもkahoさんの手料理をご馳走になったものでした。


 三十歳が見えるようになって、私が田舎に帰ることを彼らに伝えたとき、hataさんは黙しkahoさんが「歳を取ったのね」とつぶやいたのを印象的に覚えています。


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 自宅から十分もしないところにkahoさんとhataさんのアトリエがそれぞれ別棟でありました。古い民家をそのまま利用していて懐かしい感じのする建物です。


 hataさんの絵画教室の手前には古いマークⅡのステーションワゴンが無造作に突っ込まれていました。音楽をしている息子さんがいるのでその車だろうと思いました。


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 kahoさんは突然の訪問者を迎えるため、慌ただしく部屋を片付け、ストーブをつけてほんの少しだけお喋りをしてくれました。お互いの来し方を話すにはあまりに短い時間でしたが。


 確か、この前来た時はhataさんとはゆっくり出来たのでしたが、kahoさんはその時も何か用事があってほとんどお話しできなかったのでした。


 私に孫かいると知ると、いいわねと羨ましがり、自分が出版した本を出して見せてくれました。


だっこれっしゃ


だっこれっしゃ


  • 作者: 春田 香歩
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 2013/01/09
  • メディア: 単行本

 絵本を書きたいと言っていたことは知っていましたが、その夢を実現させているのは知りませんでした。彼女は真新しい本を取り出して、孫の名前をイラストともに書いてサインをしてくれました。


 趣味でしているものと思っていた草木初めは今や生活の糧になっているのだそうで、これで子供二人を育てたのだと彼女は言いました。今日は午後からその展示即売会があるので外せないのでした。


 髪が赤いのは驚きましたがマスクを外した彼女は、しゃべり方も表情も昔と変わりなかったですね。コーヒーをいれてくれて、それを飲み終わる頃、ようやくhataさんが戻ってきました。


 元々長身痩躯ですが以前にも増して痩せて見えましたが、それ以外は彼も変わっていなかったですね。初め私に気づかなかったらしく、kahoさんの来客だと思って素っ気なかったのですが、私とわかって急に相好を崩し、どうしたの?誰かと思ったよ、と驚いたように言いました。


 彼もすぐ出かけなければいけない用事があるのはkahoさんから聞いていたので、元気な顔を見られて良かったと言うと、サプライズ過ぎるよ、今夜は空いてないのと言ってくれましたが、夜はボクシング観戦なので外せないのでした。


 私の相手をしながらkahoさんは忙しく出品する草木染めの商品をステーションワゴンの荷台に積み込んでいました。誰が運転するのかと聞いたらなんと彼女が運転すると聞いて驚きました。


 私が知っているhataさんもkahoさんも免許は持っていません。何でも草木初めのために40歳を越えてから運転免許取得したのだそうです。


 私が知っている頃のkahoさんは二十代です。その頃に比べると、当然でしょうがずいぶんたくましくなっているので驚きました。草木初めで子供二人を育てたと言う彼女の言葉には迫力と重みのようなものを感じました。


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 二人が出かけなければいけない時間が来ました。絵本と出品する中から選んでくれた草木初めのTシャツの土産を手に、またスマホの案内で駅まで歩いて帰ろうとすると、展示会場に行くついでと言うことで、思いがけなく彼女の運転するマークⅡステーションワゴンに乗せてもらって駅まで送ってもらいました。


 運転しながらkahoさんは、お互いの元気を喜びながらも「今度はちゃんと連絡してね」と念押しされました。私は助手堰で恐縮して肯きながらも、今度はいつ来れるだとうと思っていました。


 帰りの電車は所沢で西武新宿線に乗り換えて高田馬場に向かいました。私には池袋線より新宿線の方が少し馴染みがるのです。


 西武新宿線沿線の懐かしい駅名と街並みを眺めながら、今別れたばかりの彼らのことを思っていました。突然の訪問にも関わらず歓待してくれたこと、申し訳なさとせっかく会えたのに募る話もほとんど出来なかったことに心が残りました。今度はボクシング観戦のついでではなく、ちゃんと時間を取って尋ねようと思いました。


 





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東京(2)新宿 ナルシス [旅]

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 ホテルでチェックインを済ませたあと一休みするのも惜しく、小さなバッグだけ肩にかけてふたたび新宿の街に出ました。

 新幹線から降りたときも感じたのですが、東京は予想外に寒く感じました。3月と言ってもまだ始まったばかり、閏年ならまだ2月です。今にも雨が降ってきそうに曇った空のもと、私は薄いダウンのジッパーを上げて歩きました。

 目指すは歌舞伎町です。場所が場所だけに多少迷いはあったのですが、上京が決ったとき是非行ってみたいお店があったので、ともかく行けるところまで行ってみようと思いました。

 ブログなどで東京の新しい情報を知ったりすると、次に上京する機会があれば是非行きたいと思ったり、コメントしたりするのですが、いざとなるとそれが何処だったかさっぱり思い出せません。

 唯一、思い出せたのが「ナルシス」です。このお店は、歌舞伎町にあったバーで、正式には「酒場ナルシス」というのでしょうか、20代前半の頃、友人haraに連れられて何度か通ったところです。

 その頃のことを以前、そらへいの音楽館で書きました。以下がその記事のリンク先です。http://sorahei-s.blog.so-net.ne.jp/2010-11-19


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 新宿五丁目から靖国通りを歌舞伎町に向かって歩いていると、花園神社の前を通ります。ここを過ぎて右に折れると少しずつ、市役所裏あたりのコアな部分に近づいて行きます。

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 有名なゴールデン街がありました。若い頃でも昼間しか通ったことがなかったと思います。

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 ゴールデン街、市役所裏あたりを過ぎて、スマホのナビの案内のまま進んでいくと、派手な色合いのネオンサインが目立ち始め、いよいよ歌舞伎町の繁華街に近づいて行きます。

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 「つるかめ食堂」の看板を見つけました。昔、職場の年上の女性に連れられて一度だけ来たことがあります。庶民の味方、財布に優しい大衆食堂でした。当時は奥行きの深い細長いお店だったと思います。今も健在で創業60年だそうです。

 その斜め向かいに見えるレンガ色の建物は名曲喫茶「王城」と思ったのですが、今はカラオケのお店になっているようです。

 「王城」には入ったことがあったか記憶がはっきりしません。ただ、昔、このあたりにあるらしいジャズ喫茶を探してうろついていたら、客引きにあい、危うく連れ込まれそうになったことがありました。

 今は、客引きらしき人もあまり立っていませんが、アダルトな看板が建ち並び、その内容からしてもいかにも怪しげなスポットに突入しているようです。

 ナルシスをさがして、立ち並ぶビルの看板とスマホの画面を交互に見ながらうろうろしていると、さすがにいぶかしむのか、どこからかお兄さんが出てきて「DVDでしょう」などと声を掛けてきます。

 違う違うと手を振って、ここまで来て逃げるのも癪なので尚も看板の林の中を探します。スマホが指すあたりに立って、この辺なのだがなぁと見上げていると、ビルの二階に目的のお店、「ナルシス」の看板を見つけました。

https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%B9/@35.6946903,139.7025345,3a,75y,210h,90t/data=!3m7!1e1!3m5!1s6RVEll3DJNJ50yEAyG6t1Q!2e0!6s%2F%2Fgeo2.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3D6RVEll3DJNJ50yEAyG6t1Q%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dsearch.TACTILE.gps%26thumb%3D2%26w%3D234%26h%3D106%26yaw%3D210.72865%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!4m5!3m4!1s0x0:0xe1066bb65786a2af!8m2!3d35.694579!4d139.70248!6m1!1e1

 写真を撮る余裕もありませんでした。店の前の通りの様子は、よくこんなところにジャズ喫茶をと思うような雰囲気です。ただ吉祥寺のメグもそうでしたし、京都木屋町にあるジャズ喫茶もちょっと近寄りがたいところにありました。

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 たどりつきました。やっとたどりついたと言う感じです。ネットで見たのと同じ扉です。喜び勇んで中に入ろうとしたら鍵が掛かっていて、白い貼紙が目にとまりました。

2017-03-003.jpg もしや閉店のお知らせではと心配したのですが、違いました。午後5時からのオープンのようです。

 午後4時を過ぎたところだったのでまだ一時間近くあります。仕方ないので、その辺をぶらついて時間を潰すことにしました。表に出て通りを抜けると歌舞伎町のど真ん中に出ました。

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 この通り、今ではゴジラストリートというのだそうです。かつてコマ劇場があったあとに建つ新宿東宝ビル、その屋上からゴジラが顔を出して吠えています。賑やかな音とネオンサインは相変わらずですが、ここも平日のせいか私の記憶より人通りが少なく思えました。

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 ゴジラストリートと靖国通りの交差点です。昔は、このあたりに似顔絵描きがずらっと絵を並べていたり、アクセサリーを売る人たちがいたように思いますが、時代のせいかさすがの歌舞伎町もすっきりして見えます。

 前方の新宿駅に向かう街路樹がある通りは、昔、人の頭で黒く埋まっていました。(当時茶髪はありませんでしたからね)

 歌舞伎町に来だした頃は、その通りが人でいっぱいになり、緩い坂道を黒い頭の群がずんずん、ずんずんと一定のリズムで揺れて見えるのに驚いたものでした。今は回りの建物の背が高くなったせいか、以前より通りが狭く見えます。

 もう一度DIGに行くのも勿体ない気がして、ただウロウロ歩き回って時間を潰しました。そろそろ5時になる頃を見計らって、さっきの通りに引き返します。

 顔を覚えていたのか先ほどのお兄さんが、「やっぱりDVDをさがしているのでしょう」とまた声を掛けて来るのを苦笑いで振り切って二階の階段を駆け上がりました。

 やれやれドアの向こう、磨りガラス越しに店内の明かりが灯って見えます。扉を開けると、ママさんが驚いたようにこっちを見て「いらっしゃいませ」と声を掛け、慌ててカウンターの上の鞄などを引っ込めました。本当に今、開けたばかりの様子でした。

http://jazz-kissa.jp/tokyo-narsis-photo-collection

 店は横に細長く、カウンター席が中心で通りに面した奥の方に椅子席がいくつかありました。その反対側の壁の上方にスピーカーが横向きに並べられていました。店の形は違いますが広さはかつての酒場ナルシスとあまり変わらないかも知れません。

 もちろん開店したばかりなので私の他に客はいません。カウンターに腰掛けて、ビールを注文しました。しばらく店内を見回したあと、ママさんに話しかけました。40年ほど前、バーだった頃のナルシスに来たことがあると。

 ママは、懐かしそうに私を見ました。でも記憶をたどっても思い出せそうにないようでした。当然です。もう40年以上も昔のこと、しかも私はそれほどたくさん通った客ではありません。

 当時、ママさんは結婚してお産、子育てに忙しかった頃だそうです。その頃生まれた娘さんが今40歳になるとおっしゃってました。

 私も当時、カウンターの中でママさんを見かけたのはちょっとだけでした。すらっとしてきれいな方だった記憶があるのですが、その頃のママさんは30歳前後、今は70代です。

 私の記憶ではもう一人、お手伝いされていた女性がおられたのですが名前が思い出せません。以前ブログではレイ子さんと仮に呼んでいたのですが、ママさんに聞いたらtakemiさんではないかと言うことでした。

 その方は、60歳そこそこで亡くなったと娘さんからの年賀状で知ったと言うことです。年齢からすると多分10年くらいは前のことだと思います。ママさんのお母さん、つまり先代のママさんもつい数年前までは健在だったのだそうです。

 もと酒場ナルシスがあったところからいつこちらに移転されたのか、教えていただいたのに失念しました。ただジャズ喫茶を始めたのは1978年で元の場所だったそうです。

 その頃なら私はまだ東京にいましたし、あちこちのジャズ喫茶をうろついていた頃です。もしナルシスがジャズ喫茶になっていると知っていたら、もっと頻繁に通っていただろうと思います。

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 離婚された前のご主人がオーディオ好きでこのお店のオーディオを用意されたのだそうです。写真では途切れていてわかりづらいですが、上の方にあるのがママご自慢のスピーカー、グッドマンです。当時でもなかなか見つからなかった逸品だそうです。

 カウンターの向かいの棚にはお酒が並んでいます。夜はお酒が出て、昔からの古い客や気さくなママさん目当ての常連客が集っているのだろうなと思えるお店の雰囲気です。

 お酒の棚の間に辻まことの全集が並んでいました。そう言えば、バー・ナルシスのマッチは辻まことデザインだったことを思い出しました。

なるしす b.JPG なるしす a.JPG 酒場ナルシスのマッチ

 ママさんは川島夕子さんと名乗られました。ほとんど初対面の私にも気さくにいろいろなことを話してくださいました。当時のナルシスのこと、新宿、歌舞伎町の話など。

 歌舞伎町ではジャズ喫茶「木馬」にもよく行っていたと言うと、「木馬」は最初、別の通りにあったのだと教えてくれました。私が通っていたのは、多分移転後のお店の方だったと思います。「木馬」も1990年代に閉店してしまいました。

 ほとんど初対面であることも忘れて、静かな雰囲気の中であれこれと思いつくままにお喋りを続けていたのですが、その雰囲気を破るように、一人のお客が入ってきました。常連さんらしくママさんも気軽にあしらっています。

 その人は今まで都庁で仕事をしてきたのだそうで、憤懣やるかたないと言う風に都庁の若い職員や公務員への不満をぶちまけていました。

 黒黒としたパーマ頭に口ひげを生やしていて、私よりずっと若いと思っていたらもう60歳と聞いて驚きました。話題が豊富で面白い方でした。

 ジャズの話をするとこの方もジャズには造詣が深いようで、ビル・エバンスやマイルスの逸話をいくつか語られたので驚きました。このお店には珍しいジャズのレコードがたくさんあるとおっしゃってました。

 その言葉通り、ママさんはジャズのレコードを何枚か掛けてくれました。かなりマニアックなレコードが多くて、私が知っていたのはマイルス・デイヴィスのリラクシンだけでした。グッドマンの音は素朴で耳になじみやすく心地良かったです。

 しかし、このお客の出現によってママさんとの話は途切れがちになりました。ママさんはカウンターの内側に腰掛けて一人煙草を吸い、自分で立てたコーヒーを飲みました。

 いい香りが私のところにまで漂ってきます。ビールを飲み干して手持ち無沙汰になった私は、ビールの追加ではなく、コーヒーを頼みました。おいしいコーヒーでしたね。

 いつまでもそこにいたかったのですが、ママさんとではなくあとから来た客と話をしてしまうことになって、それでは意味が無くなるので頃合いを見計らって辞去することにしました。

 北海道に住むharaにこのことを話したらさぞ驚くだろうなと思いました。入り口まで送ってくれたママさんに、別れ際、彼といっしょに来たかった、出来ればまた来ますと告げて、ナルシスをあとにしました。

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 外はすでに暗く、雨が降リ出していました。濡れたアスファルトの路面にネオンサインがにじんでいます。時刻は午後七時を回ったところ、ほぼ二時間いたようです。


 今夜は、ナルシスのママが掛けてくれたレコードMiles Davis(マイルス・デイヴィス)のRelaxin'です。





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東京(1)新宿 [旅]

 一昨年の9月、山中慎介チャンピオンの応援で、十数年ぶりに上京したのでした。去年も東京での防衛戦を期待していたのですが、地元京都と大阪で行われたため上京する機会を得ませんでした。

 今年3月2日に両国国技館で12度目の防衛戦が組まれましたので、約2年振りに上京する事が出来ました。今回も慎介選手の父親の同級生軍団といっしょです。

 前回はタイトルマッチ応援のあと、一日オプションを付けて東京の懐かしい地を一人で回ったのでしたが、今回は仕事の都合で、オプションを防衛戦の前の日に付けて、皆より一日早い3月1日に上京しました。

 当日、京都駅に着いて新幹線に乗ろうとしたら、東海道新幹線が山陽新幹線の影響で一時間前後遅れていました。せっかく家を早く出て、少しでもたくさん東京を回りたいと思っていたのに、いきなりアクシデントです。

 ところが私は、たまたま「のぞみ」ではなく「ひかり」を予約していました。新大阪発の「ひかり」は山陽新幹線の遅れの影響を受けません。なんと5分遅れただけで京都を発車しました。しかも東京駅に着く頃はその遅れもほぼ取り戻して1分あまりの遅れで済ますことが出来ました。

 無事到着した東京駅、いつも工事している印象だったのですが、すっかりきれいになっていましたね。広いコンコースを大勢の人があちらこちら行き来しています。

 その人混みをかき分けながら、中央線に向かいます。目指すは新宿です。頭の中にはいろいろな案がありましたが、前回、夜少し歩いただけだったので、とりあえず今回は新宿をメインにしようかなと思っていました。 

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 新宿駅は工事中でした。昔、あれだけ歩いた新宿駅ですが、さすがに今自分がどこにいるかわかりません。たまたま出た改札がいつも利用していた中央東口改札でした。

 回りの雰囲気は変わっていますが、改札や券売機の配置は昔といっしょです。そのままコンコースを新宿通りの東口玄関に向かいます。

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 階段を上がるとアルタが正面に見えました。もう「笑っていいとも」はありません。

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 ロータリーに沿った舗道の壁にかつては映画の大きな看板がずらっと並んでいましたが、今は大きな広告もなくなんとなく殺風景です。

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 いつも利用していても、滅多に見ることがないJR新宿駅東口の看板とルミネ

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 私は、いつも東口正面に出る通路を途中で右に折れルミネの中を通って、こちらの階段から東口に出ていました。東口正面に出るより、こちらの方が新宿通りに出やすかったと思います。

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 階段を出た所、以前はサクラヤだったような気がするのですが、ヨドバシカメラになっていました。

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 懐かしい新宿通りです。写真は「高野フルーツパーラー」前あたりなのですが、工事中だったみたいです。隣の「新宿中村屋」はありました。

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 紀伊國書店です。ここはずっと変わらないですね。ただ、エスカレーターを上がった二階、通路に張り出した売り場は、かつてレコードを売っていた帝都無線でしたが、もうありません。レコード店はおろか、CD店も最近は見かけないですね。

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 伊勢丹です。三越と一緒になって、京都や大阪にも出てくるようになりました。社長が替わったりして今いろいろ話題になってますね。

 このあたりは若い頃、これと言った用もないのに何かを期待して幾度となく歩いたところです。当時に比べると平日のせいか、それほど人通りがあるようには思えませんでした。

 新宿も観光地なのか、舗道を歩いていると耳慣れない外国人の大きな声を至るところで聞きました。また東南アジア系のグループや家族連れの姿をよく目にしました。

 予約しているホテルは五丁目なので新宿通を二丁目の方向に向かって歩きます。チェックインの時刻まで少し間がありましたが、荷物を預かってくれるそうなので早めに行くことにしました。

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 荷物を預けて身軽になってからあちこち歩くつもりだったのですが。歩いていると懐かしくてつい寄り道したくなってしまいます。

 伊勢丹手前の路地を入って、カレーの店ガンジーです。前回来た時は夜でもう閉まっていたのでした。今回、昼食は新幹線の車内で済ませていたのでパスすることにしました。オーナーに会えれば寄ったのですが。

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 紀伊國屋書店の裏を通って、路地を抜け二丁目と反対の方向に歩きます。角っこにかつて、「トップス」という見晴らしの良い喫茶店があったのですが、今は「松竹芸能」のお店になっていました。時代ですね。

 その間の路地を抜けたところ、新宿通りと靖国通りを繋ぐ通路が上の写真です。正面が新宿通りになります。右手のビルの地下にかつて「びざーる」と言うジャズ喫茶がありました。

 まだジャズを聞き始めても間もない頃でした。ジャズのジの字もわからず、ただ異国の音楽だなぁとなんとなくなじめない思いで聞いていました。

 そんなある日、新宿の街をウロウロしていたらどこからともなくジャズが聞こえてきました。するとなぜか身体が反応して浮き立つのです。嬉しいような懐かしい気分に誘われました。

 音が聞こえる方向に行ってみると、とあるビルの地下の入り口からその音は道路に向かって放たれていました。誘われるように地下の階段を降り、暗く細長い店内に潜り込みました。多分、それが初めてのジャズ喫茶体験だったと思います。

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 「びざーる」のマッチです。お店は、もうずいぶん前に無くなったと思います。当時、私がよく通ったのはそのすぐ近くにあった次のお店です。 

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 通りをアルタ裏の方に向かい、アルタ手前の路地を右に曲がると、とっくに取り壊されていると思っていた「DIG」の入り口の階段がまだありました。

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 もちろん、「DIG」はもうありません。写真では明るいですが、私の印象ではもっと狭く薄暗い階段だったと思います。階段を上がって二階右手に扉があり、ジャズのお店の名前がありました。営業しているのかいないのか音はしていませんでした。

 「DIG」はさらに階段を上がった三階にありました。扉の前に立つと、扉の向こうからジャズが聞こえてきたものでした。嬉しくなってドアを開けると、大音量が風圧のように押せ寄せました。室内は思わず身を背けたくなるような煙草の煙が充満していました。

 店内はいつも混んでいて、相席になりました。皆、うつむいて黙々とジャズを聞いていましたね。まるでジャズ教にひれ伏す信者の群れのようでした。会話は禁止で、コーヒーを注文するのもジェスチャーのように指を立ててウェイトレスさんとコミニュケーションしたものです。

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 戻って少し坂になった路地を下ると靖国通りに出ます。新宿二丁目の方に向かって歩き出して間もなく、右手に「DIG」の後継店「DUG」の看板が見えてきました。

 「DUG」はかつて「NEW DUG」といっしょにあったと思います。一階が「NEW DUG」だったと思うのですが曖昧です。「NEW DUG」はおしゃれでお酒を飲むお店でした。「DIG」の思い出はあるのですが、「NEW DUG」「DUG」は当時の私には敷居が高く、入ったか入っていないか記憶が曖昧です。 

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 「DUG」の入り口です。ここには、ホテルに行って荷物を置いて身軽になってから、あるいはあちらこちら回って、夜にでも来ようと思っていたのですが、いざ店の前まで来ると通り過ぎる事が出来ませんでした。

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 地下へ降りる階段の雰囲気はジャズ喫茶の定番ですね。一昨年行った四ッ谷の「いーぐる」もこんな感じでした。そのため記憶がごっちゃになっています。

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 写真撮り忘れましたが、SP-LE8Tと同じ格子模様のスピーカーがギターを奏でていました。ただ、SP-LE8Tに比べるとかなり小ぶりなスピーカーでした。

 ここはかつての「DIG」と「NEWDUG」を合わせた雰囲気のお店という感じがしました。オーナーは業界で有名な中平穂積さんです。著書や写真集が店内でも販売されていました。

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 目の前には灰皿やお酒が置かれています。カウンターには他に二人の男性客がいましたが、皆さんおいしそうに煙草を吸っていました。私は禁煙してもう10年近くになるのですが、こんな雰囲気のお店でコーヒーを飲みながらジャズを聞いていると無性に煙草が吸いたくなりました。

img125-002.jpg 今時珍しくマッチが置かれていました。これも記念にいただいてきました。

 一時間ほどいたのでしょうか。もっとゆっくりしていたかったのですが、他にも行きたい所があったので、夜また来れたら来たいなと思いながら店を出ることにしました。

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 店を出てふたたび靖国通りを五丁目に向かいます。ここはずいぶんおしゃれになった新宿ピカデリーの前です。

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 続いてテアトル新宿です。東南アジア系の映画が上映されていて、ちょうど終わったところなのか大勢の人が出てきたところでした。ポスターをちらっと見ただけですが、とても田舎では掛からなさそうな映画でした。

 若い頃、「明日に向かって撃て」とか「俺たちに明日は無い」など、ニューシネマと呼ばれる映画を見たのはピカデリーのほうだったか、テアトル新宿の方だったか思い出せません。名作二本立てで日曜日、客席はいつも超満員でした。

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 スマホのナビの案内で無事ホテルに着けました。「DUG」でゆっくりしたのでチェックインの時間になっていました。荷物を置いて身軽になった私は、このあともう少し新宿をうろつくのですが、長くなるので今日は一旦ここで止めさせていただきます。


 今夜は順番を通り越して、DUGでこの曲が掛かっていたか忘れましたがSonny Rollins(ソニ-・ロリンズ)Blues For Philly Joeです。ロリンズのテナーはもちろん、ウイントン・ケリーのピアノ、ダグ・ワトキンスのベースが心地良いですね。



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先斗町・祇園の夜 [旅]

 12月も瞬く間に半分が過ぎてしまい、今年も残すところあと2週間になってしまいました。年賀状の受付が始まったそうです。しかし、先週休んでいるのでまずはブログ更新です。

 先週の木曜日は今年の聞き納め、京都でビッグバンドジャズのコンサート(そのうち報告したいですがたぶん来年になりそう)を楽しんで来ました。

 9時半過ぎに終わって何処へも寄らず、まっすぐに帰ってきても11時前後になります。妻と少し語らってから、風呂に入り、床に入って間もなくのことです。胃の中にあったわずかな違和感が、突然、吐き気に変わって慌ててトイレに駆け込みました。

 それから明け方まで夜通し嘔吐しまくっていました。もう出すものが無いくらい吐いているのに、次から次へと吐き気が押し寄せてきて、ほんとうに参りました。

 翌金曜は、仕事を休んで病院に行き一日伏せっておりました。どうやら孫から胃腸風邪というものをもらったらしいです。娘も孫も私より一日早く掛かって、嘔吐しまくっていたのだそうです。

 一過性のもので、もちろん今ではもう何ともないのですが、ひどい目に遭いました。今週から仕事にも復帰していますが、今のところ職場仲間に感染していないようです。


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 さて、今日は約一ヶ月前の11月21日の報告です。この日はお昼からWBC世界バンタム級チャンピオン、山中慎介選手の11連続防衛の祝勝会の日でした。

 琵琶湖プリンスホテルに集まった人たちは総勢、600人あまりという盛況でした。私が初めて祝勝会に参加した頃は6連覇の頃で300人ほどだったので約倍に膨らんでいました。

 私たちチャンピオンの父親の同窓生一同は、同じテープルに集まって、ご馳走を喚ばれお酒をいただき、いつものお喋りに興じていました。慎介選手はセレモニーの時以外は、各テーブルを回って記念写真の相手をしていましたね。なにせたくさんのテーブルです。全て回りきるまで2時間以上掛かっていたのではないでしょうか。

 華やかで楽しい祝勝会は3時間あまりでお開きとなりました。しかし、我々老年同窓生軍団はそれで収まるはずもなく、むしろこれからが本番とばかり、京都へ繰り出したのでした。


DSC_5213.JPG夕闇迫る三条通り

DSC_5220.JPG鴨川、歩きながら撮っているので少しボケてます。

DSC_5221.JPG人混みの三条大橋を渡ります

 三条大橋を渡った袂に、池田屋と言うお店がありました。何でもあの池田屋騒動のあった池田屋の跡地に建っているとかで、入って迎えてくれた店員さんは新撰組の羽織に似せた法被を着ていました。ここで、軽く夕食を取り、足りないお酒を各自のお腹に追加しました。

DSC_5240.JPG 池田屋で腹ごしらえを済ませた私たち一行は高瀬川沿いに木屋町を歩きました。木屋町は京都の夜の繁華街です。

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DSC_5249.JPG 皆とはぐれて一人で歩いていると、店の前の客引きがそっと、「個室5000円」なんてささやいてきます。さすが木屋町です。

DSC_5253.JPG 日曜の夜というのに大勢の人が行き交っていました。この頃、京都は紅葉真っ盛り、たぶんそのお客たちなのでしょうね。

DSC_5251.JPG こんなところにストーリートミュージシャンです。

2016-11-20 21.42.52.jpg 中にこんな京都らしいたたずまいの町屋も

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2016-11-20 21.59.04.jpg 先斗町ですね。昼間は歩いたことがありますが、夜歩くのはあまり記憶がありません。

 三条から高瀬川沿いを四条へとあるき、目指すは祇園です。井筒屋八ッ橋の本店がありました。その近くの雑居ビルの何階でしたか、私たちが行くお店「高田屋」があります。

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 メンバーの中に何人かすでに来たことがあるそうです。ママの藤子さんは同級生の姪御さんでした。今日は私たちが行くと言うことで、お休みのところ、貸し切りで店を開けてくれました。

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 せっかくの京都の夜でしたが、写真の羅列だけになってしまいました。木屋町、先斗町、祇園、昼間はともかく夜は、仲間や知っている人がいないと一人ではなかなか歩けませんね。ライトアップされた高瀬川沿いの紅葉とか、夜の人通りなど、いつも畑を耕したり山で野鳥をさがしている私にはもの珍しく映りました。


 今夜のYouTubeはそろそろBの項目に移動しようかと思います。Bで始まるミュージシャン、またまた目白押しですが、この間の夜、ビッグバンドの楽しさを再認識したところなので、今夜は楽しくBenny Goodman( ベニー・グッドマン)でもいかがかなと思います。


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別荘で [旅]

 近畿地方、梅雨明けして3.4日経ったでしょうか。確かにその後雨は降っていません。日差しは夏らしく強いのですが、なんとなく空気がからっとしていつもの梅雨明けと少し違って感じます。昨夜は満月でしたが月は秋のように煌々と白く、肌に当たる夜風は気持ち良かったですね。

 夏場は草刈とか地域の奉仕作業などが多くて、休みの時間を取られてしまいがちです。ブログ更新が出来なかったり、皆様のブログへの訪問が滞りがちになっています。元気に過ごしているのですが、住まいも仕事も何もかも毎年同じ環境なのに、出来ないことが少しずつ増えてきているのは、やはり歳のせいでしょうか。


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 などと言いながら、6月と7月はこちらの別荘暮らしでした。(写真は、6月と7月の写真が混在しています。カメラも、一眼だったりミラーレスだったりスマホだったりしています)別荘暮らし、正確に言うと、6月に一泊、7月に一泊、別荘生活と言うよりはどちらかというと合宿のような泊まりでした。

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 オーナーさんの管理が行き届いていて、清潔感溢れる一階のフロア

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 二階の階段から玄関を見下ろしたところ

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 二階の寝室

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 お隣のアジサイ


 昨年、暮れに同窓会を開いた実行委員、その後も何かと理由を付けて集まっているのですが、その実行委員の中の一人が親戚の別荘を借りられると言うので、この夏はそこに集まろうと話が一気にまとまりました。

 最初は6月のはじめの頃でした。7月の本番に備えて下見をしておこうと言うことで、数人だけで行く予定でしたが、話はどんどん大きくなって8人の参加となりました。

 別荘のあるところは高島市今津町、自衛隊の今津駐屯地やマキノのスキー場のある近くです。大きな通りからいきなり狭い急な坂道に入って、やがて通りの両側にいくつも別荘が見えてきます。

 狭い急な坂道の入り口には、「熊注意」の看板があり、雪の多い地域、冬はこの坂どうするのだろうと思うような所です。高台にあるので少し歩くと、遠く琵琶湖を眺めることが出来ます。

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 泊まりの食料を持ち寄り運び込む女性陣、彼女たちの協力がないと今回の企画は成り立ちませんでした。

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 先週が本番でした。集まったのは都合の悪い数人を除いて前回の約倍の15人。広い芝生のお庭でバーベキューです。花火をしようというものもいましたが、さすがにご近所の迷惑を考えて却下となりました。それにしても花火、65歳の発想ですかね。

 梅雨明け直前でしたが、雨もなくさほど蒸し暑さも感じない日でした。皆でわいわい言いながら、お酒を飲んだり久し振りに柔らかいおいしい肉をいただいたり、楽しい宵でした。

 暗くなってからは、ウッドデッキと室内に別れて、お喋りとカラオケです。皆、本当に高齢者仲間入りあるいはその予備軍かと思うほど元気でした。中には早々と寝るものもいましたが、修学旅行生みたいに夜中の2時3時まで喋っているものもいました。 

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 明くる日、別荘の片付けを皆で済ませて、後は高島市を車で観光することにしました。有名はメタセコイアの並木道です。2.4キロの間に500本のメタセコイヤが植わっているそうです。やはり黄金色に輝く秋に来て見たいですね。この日は土曜と言うこともあって、並木道をカメラに収めている人がたくさんいました。

 近くにピックランドという施設があり、そこで買い物を楽しんだり休憩をしたり、でもさすがに同級生の皆さんお疲れモードでしたね。

 湖岸道路沿いは延々とキャンプ場が連なり、土曜と言うこともあってたくさんのテントが立ち並んでいました。

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 帰り道、私は京都に行く用事があったので、湖西線蓬莱駅で降ろしてもらいました。湖西線、滅多に乗らないのですが、琵琶湖が眺められて見晴らしの良い路線です。


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知多半島へ [旅]

 去年の11月、中学校の同窓会があり、その実行委員の端くれに名を連ねていました。無事、同窓会も終わり打ち上げがあったおり、実行委員を中心にして旅行に行こうと言う話が持ち上がりました。

 行き先は、あまり行ったことがない知多半島に決りました。皆さんいろいろ都合があって、参加したのは実行委員の3分の2ほどでしたが、メンバーのご主人が運転手をかって出てくださり、レンタカーで回ったのでかなりリーズナブルな旅行になりました。

 とは言え、同級生のこと、直前に集合時間と集合場所を知らされただけというかなりおおざっぱな案内でした。私も実際の行先が知多半島だったか渥美半島だったか分からなくなって、直前に知多半島と確認しただけで、行程も泊まる宿も知らないまま集合場所に出かけたのでした。

 最初に着いたのがなばなのです。イルミネーションとお花で有名なところで、himanaoyajiさんの写真にもたびたび登場する所ですが、私は初めてでした。もちろん昼間なのでイルミネーションはありませんが、この時期としてはたくさんのお花が迎えてくれました。

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 参加メンバーの一部です。後ろ姿ですが。

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 前日は雨、この日は雨は上がったもののやや重い曇り空でした。そして外は少し冷たい風が吹いていました。梅苑では満開のしだれ梅を堪能することが出来ました。他にも名前の知らない木々や花がたくさん植わっていましたがスイセンはまだ少し早かったですね。

 続いてベゴニアガーデンに入場しました。

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 ハウスになっているので風も遮られて暖かく、仲間の一人は思わずコートを脱いで休憩し、そのまま忘れて出口まで行ってしまうアクシデントがありました。

 それにしても、これが皆、ベコニアと思うほど、多種多様な花がありました。花に詳しい女性たちは、いろいろ花の名を言ったりしていましたが、私は何も分かりません。

 他にバラ園もあったのですが、季節外れで入ることは出来ませんでした。

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 ベゴニアガーデンに入っている間に日差しが出てきましたが、外の風の冷たさは変わりませんでした。

 昼食は、なばなの里にあるレストランでバーベキューでした。ビールを飲んで日頃あまり食べられない肉をいっぱいいただきました。

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 長島温泉に寄ると聞いていたのですが、そのまま観覧車を横目に見て進むのであれ、何処へ行くのかなと思っていたら、車は名古屋港周辺をぐるっと回ってJR東海のリニア・鉄道館の駐車場に入りました。

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 蒸気機関車、私たちはこれに乗って高校に通っていたので、皆懐かしがっていました。蒸気機関車をリアル体験している世代、つい若い人たちに自慢話をしてしまいます。それにしてもこの黒い車体、新しい車両のスマートなデザインを吹き飛ばしてしまう機械そのものの存在感というか重みを感じますね。

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 歴代の新幹線が並んでいました。私はやはり一番最初のゼロ系が懐かしいですね。中学生の頃に夢の超特急と言って、東京大阪間をはじめて走り出したのでした。ずっと憧れの存在でしたからね。

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 こちらは客車です。灰皿のある車両懐かしいです。今では考えられないことですね。その下のヒーターの上に片足を乗せていましたね。

 座席もぽかぽか暖かくて、座っているとよく居眠りをしました。読んでいる文庫本を落としてしまい、慌てて拾い上げながら周囲を見渡したものでした。もちろんこちらが気にするほど誰も気にしていないのですが。

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 こちらはもっと古い客車で、さすがに記憶がありませんが、何とも言えない味わいがありますね。

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 カボチャと言ってますが、正式にはクハ111系というのだそうです。一時、この電車ばかりだったような気がするのですが、最近すっかり見かけなくなりましたね。

 館内にはジオラマがあったり、在来線の運転シュミレーターがあったり、リニアカー500キロ疑似体験があったりと展示品を見るだけでなく遊べるコーナーもいろいろあって半日くらいは遊べそうな所でした。私たちは、11年先に開通が予定されている次なる夢の超特急、リニアカーの500キロ疑似体験を楽しみました。

 名古屋を通り過ぎて知多半島に入ると車窓の風景は田んぼと岡の連なりが続き海が見えません。細長い半島の背骨を貫通する南知多道路を走っていると回りは何もないように思えます。

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 宿に着いて温泉に入り、後はお決まりの宴会です。さすがに海辺だけあって、料理は魚づくし、刺身、焼き魚、煮魚、何種類ものエビとかに、堪能しました。お酒もあまり強い方ではないのですが、帰る心配をしなくて良いので、普段よりたくさんいただきました。

 宴会が終わっても部屋に集まって、昔話などに花が咲きました。誰かが言い出して、中学時代の好きな子の話などを順番に話して回りました。思いがけないカミングアウトが聞けたりして、まるで修学旅行の夜のように楽しい時間になりました。同級生たちの話や仕草に腹を抱えて笑い、職場や地域の集まりとはまた違った気兼ねのない時間が過ぎていきました。

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 翌朝、私は二日酔いもなく、朝から風呂に行ってさわやかな気分だったのですが、ここでひとつ失態をやらかしてしまいました。部屋のキーを返してさて帰ろうとすると、誰かが私の足下を指さします。ふと見ると、私は宿のスリッパを履いたままでした。

 これには皆も大笑い、私は慌ててフロントで鍵を借り直し、部屋に戻りました。この旅行用に買った靴はもちろんまだ玄関に残されていましたが、頭をかきながら戻る途中、そう言えば、以前もどこかでやったなぁと一人苦笑いするばかりでした。

 帰り道は初めのうち南知多道路を走らなかったので、車窓に人家の集まりが見えたり、海が見えたりしました。海産物のお土産屋さんに寄った後は、半田市にある酒蔵、国盛へいきました。

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 説明を聞きながら古い蔵の中を案内してもらい、酒造りのビデオを見てから酒好きの人には堪らない利き酒がありました。あまり日本酒が得意でない私もせっかくだからいただきました。

 その中で一番おいしいと感じたのが黒松吟醸仕込みでしたね。辛口だそうで、私はあまり酒のこと分からないのですが、雑味のないストレートな味わいがありました。

 同級生も黒松が良いと言って、買っていくものがいました。私は自分では飲まないので酒好きの伯父の土産に一本求めました。

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 昼食は名古屋市内に入ってとあるお店できしめんと松花堂弁当でした。そのあと大須観音に寄りました。私は大学が名古屋だったので、大須には行っているのですが、観音様は行った記憶がありません。

 大須の商店街は歩いているはずですが、たびたびは来ていないのでほとんど記憶がありませんでした。ちょっと京都の京極に似た雰囲気の商店街ですね。

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 大須演芸場がすぐ近くにあるのですが、回りはやたらコメヒョウなど中古品店が多い所でした。

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 続いて熱田神宮です。ここもはじめてでした。全体的に今回行った所は皆初めての所ばかりでした。学生の時、渥美半島か知多半島を旅していてどっちだったか分からなかったのですが、今回知多半島に行ってみて、自分が昔行ったのは渥美半島だったと分かりました。

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 熱田神宮に咲いていた八重の梅、ここは中国の団体旅行客が多かったですね。

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 信長塀、信長が桶狭間の戦いに勝利した記念に寄進したものだそうです。

 バスは名古屋市内を抜けて帰路につきましたが、車窓を見渡してみても、当然私が知っているものは何もありませんでした。テレビ塔も見えませんでした。

 いずれ名古屋にはゆっくり一人で来てみたいなと思っているのですが、東京以上に何もかも変わっていると言うか、私が暮らしたのは2年足らずで、知っている所もわずかしかありません。

 帰り道は皆、お疲れなのか眠っているものが多かったですね。かくいう私も熱田神宮を出てしばらく、最寄りのインターを降りるところまでぐっすり眠りこけていました。

 以上、拙い写真の羅列になってしまいました。なばなの里や、大須の商店街などhimanaoyajiさんのホームを荒らしてしまいましたが、写真は及びも付きません。

 ここのところ金曜日に更新出来ず土曜更新が続いています。一日延ばすだけで少し気持ちに余裕が生まれるのは不思議です。

 長くなるので今日のジャズはお休みさせていただきます。


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おまけ~四ッ谷編 [旅]

 西荻で私の今回の東京旅行は終わったのでしたが、帰りの新幹線乗車までわずかに時間が残っていたので、その時間をどう有効に使うか思案を巡らせました。

 西荻を歩き終えてからでも何とか行けそうなお店が三つありました。荻窪の名曲喫茶「ミニヨン」、新宿のジャズバー「DUG」、四ッ谷のジャズ喫茶「いーぐる」などです。後のお店は不定期だったり、開店時間がもっと遅くて不可能でした。

 三店とも過去に訪れているのですが、新宿の「DUG」以外は記憶がほとんどありません。そういう意味では「DUG」でも良かったのですが、開店時間が一番早いこと、四ッ谷駅から近いこと、東京駅にも近いので、「いーぐる」に行ってみることにしました。

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 「いーぐる」はマッチを持っているので、その昔、一度は行っているはずなのですがまるで記憶がありません。ジャズ喫茶なので裏通りにあるものと思っていたら賑やかな新宿通に面していて驚きました。家に帰ってから「ジャズ日本列島」で調べてみたら昔と同じ所でした。

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 しかし、店の入り口は地下にありました。地下に降りていく狭いらせん階段、その壁面は懐かしいポスターで覆われていて、雰囲気十分でした。

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 店の入り口扉の横には、週刊分冊の広告ポスターが貼られているのですが、なんだか今もマイルス・デイビスが活躍している時代にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。

 左の扉を開けると店内です。地下を降りて扉を開ける前から聞き慣れた女性の歌声が聞こえていました。歌の主はどうやら美空ひばりのようです。

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 店内に入ると中は地下とは思えない広さでした。そして地下ともジャズ喫茶とも思えない明るさです。歌声は正面の壁面に埋め込まれたJBLの大型スピーカーから流れています。

 ちょうどお昼時だったので、珈琲とセットになったパスタセットのナスとキノコのトマトソースを注文しました。私の後から年配の男性が一人、それから若いサラリーマン風の客が入ってきて、それぞれパスタセットを注文していました。

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 オーディオセットは私が座った正面のブラインドの中にあるようです。はっきりと見えませんがターンテーブルらしき金属の輝きが見えます。もう少しオーディオシステムのそばに座るべきでした。

 ホームページの資料によると スピーカーはJBL 4344 Mark ll・ プリアンプ アキュフェーズ C 280V・ パワーアンプ マークレヴィンソン 23.5L・ CDプレイヤー デンオン DCD SA1・ CDプレイヤー アキュフェーズ DP 67・ アナログプレイヤー ヤマハ GT 2000・ カートリッジ デンオン DL 103 LC llとなっています。

 美空ひばりのジャズを聴きながら味わうパスタも珈琲もおいしかったですね。お腹もくちて、ずっとその場で寛いでいたかったのですが、時間が無かったので美空ひばりのCDを一枚聞き終わらないうちにお店を後にしました。

 知らなかったのですが、このお店のオーナー後藤雅洋氏はたくさんのジャズ関係の著書も出しておられるのですね。その作品一覧を見てみたら、読んだ本が数冊ありました。

 「いーぐる」の歴史も1967年からですからもう半世紀近いですね。私が行ったのは1975年頃なのでそれでももう40年の時が経っています。ジャズ喫茶、閉店していく店が多い中で、ずっと四ッ谷の新宿通りで営業続けられているって凄いですね。

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 1975年当時のマッチです。古い写真を見ると、当時も店内にブラインドが効果的に配されていたようです。オーディオシステムは、アンプがハーマンカードン・サイテーション11、12、レコードプレーヤーがDENON・DP3700F、スピーカーがJBL・130A+LE175+HL91でした。

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 今回、マッチはさすがに無さそうだったので、紙ナプキンを失敬してきました。


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 さて、もう東京駅でお土産を買う時間くらいしか時間がなくなってしまいました。四ッ谷駅に戻る道すがら、緑が多い事に改めて気づきました。四ッ谷駅周辺はあまり降りたことがありませんでしたが、近くに外堀公園があったのですね。

 地図で見ても、皇居や赤坂御用地、新宿御苑などに囲まれています。駅のホームも都心の駅とは思えない緑の多さです。

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 四ッ谷駅のレンガは駅員3さんの興味の対象にはならないのでしょうか。




 今回の東京旅行、行ったのは九月末だったのにブログでの報告に約二ヶ月を要してしまいました。長々と思い出をたどるだけの旅の記録でしたが、皆様お付き合いありがとうございました。

 ずっと行きたいと思っていたので、念願を果たせて今はすっきりした気分です。東京に行くと必ず新宿と秋葉原を歩くのですが今回は歩けなかったのが少しだけ心残りです。

 また、当時お付き合いしていた人たちを巡る旅もしてみたかったのですが、いくら東京の街がうつろい安いとはいえ、人ほどではありません。それにそうしたことを考えるにはもう時間が経ちすぎてしまいました。

 前にも言いましたが、今まで東京に行くと若い人が目にとまったのに、今回はなぜか年配の方ばかり目が行ってしまいました。自分を重ね合わせたり、ひょっとして当時すれ違ったり何かしら交渉があった可能性のある人たちというのは、もう年配者しか考えられませんでした。

 念願をひとつ果たして、次はわずか二年しかいませんでしたが、それっきり訪ねていない名古屋に行ってみたいなと思ってます。こちらは近いので日帰りできそうです。

 そしてほぼ20年、ご無沙汰している北海道に行ってみたいですね。これは妻を連れて行かないと怒られそうです。いつになるか分かりませんが、いつか行けるという希望を持って日々を過ごしていこうと思っています。


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浦島そらへい東京を行く~西荻編 [旅]

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 西荻に着きました。久しぶりの西荻です。正式には西荻窪なんですが、「にしおぎ」と略して呼んでいたような気がします。今もそうかもしれません。

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 ホームから階段を降りて改札口まであまり昔と変わらない印象でした。改札口も当時と同じ所にあり一カ所だけでした。改札を出ると正面、ここにも駅ナカのショッピングモールがありました。

 その前では野菜の朝市が開かれる準備が始まっていました。西荻は私が住んでいた当時から、無農薬野菜とか有機野菜を売っている店があって、そういう面では先進的な所だと思います。

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 駅北口を出たところから見た西荻窪駅の外観です。当然ですが、駅舎もその回りも私が知っている姿とは違ってずいぶん洗練されたように見えます。

 まず、北口駅前から吉祥寺方面に伸びる駅前のバス通りを歩くことにします。この道は伏見通りと言うそうです。私はずっと女子大通りと思っていたのですが、女子大通りはもう少し先のようです。

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 歩き出してすぐ右手にモスバーガーがあります。ここに昔「リスドオール」と言うパン屋さんと喫茶店が一緒になったお店がありました。一階がパン屋さんで二階が喫茶店、昔は喫茶店を併設したパン屋さんやケーキ屋さんがたくさんあったものです。ここもそんな一つでした。

 店長さん夫妻はどちらがどっちだったか忘れましたが、北海道と九州出身者で東京で出会って結ばれたご夫婦でした。店長さんはそれまで、パンの配送運転手をしていたのにお店を任されて、ネクタイ姿がなかなか板につかない面白いおじさんでした。奥さんは小柄でしっかり者、庶民的で素敵なご夫婦でした。

 パンを買ったり、二階の喫茶店で長時間粘ったり待ち合わせに利用させてもらったりして、懇意にさせていただきました。今はすっかりモスバーガーの店舗になっていますが、色こそ違え建物の全体の印象は昔と似ています。外壁を塗り替え改築して利用しているのかもしれません。

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 驚いたのはその隣の路地にあるビリヤードの看板でした。昔と同じ位置にあるように思えます。もっとも当時は電光式ではありませんでした。もちろん、回りの建物などもすっかり変わっています。

 懐かしい思い出にしばしたたずんだ後、モスバーガーの店の前を通って吉祥寺方面、私が住んでいたアパートのある方へ向かいます。空は相変わらずどんより曇り続け、膝の違和感は昨日までの達者な歩きを許しません。荷物を駅のコインロッカーに預け忘れてしまい、バッグとカメラの重みが肩に食い込みます。

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 古いたたずまいです。見覚えがあるような気がするのですがあまり鮮明な記憶は蘇ってきません。そう言えば、この蕎麦屋さんの近くに畳店がありました。職人さんが店先で肘を立てて畳の縁を編んだりしてましたね。

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 このお店ははっきり覚えています。私が西荻に住んでいた頃に出来たのでした。デートではないのですが、一度だけある女子大生とここで待ち合わせをしたことがあります。暗い店内で、アンティークなテーブルや椅子などが配置されていたように思います。どんな音楽が鳴っていたか記憶がありません。

 毎日通った通りですが、はっきりと見覚えがあるのは「物豆奇」だけだったかも知れません。当時コンビニはまだ出始めの頃で普及していませんでした。代わりに個人営業の小さなスーパーがありました。他にやはり小さな書店、古本屋、ケーキ屋、煙草屋、パチンコ店などの記憶があるのですが、今は面影を見つけるのも難しそうです。

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 小さなスーパーがあったあたりのビル、その地下にロックのライブをやっているお店がありました。写真の撮り方が中途半端で店名がはっきり見えてませんが、こういうのを見ると西荻も頑張っているなぁと言う気がします。

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 狭い通りを相変わらずバスやタクシーが通り過ぎて行きます。こういう所は昔と少しも変わっていないですね。通りはやがて突き当たって右に折れ、そのすぐ先の交差点を左に曲がると女子大通りに繋がります。

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 その交差点です。正面の道が女子大通りに繋がる道です。私が住んでいたアパートはこの道の左手、交差点から数えて最初の路地だったか二本目の路地だったかを入った所にありました。

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 交差点を別の角度から撮りました。白い建物は、昔もあったような気がします。色はもっと違った気がするのですが、一階のシャッターが閉まったところは当時レストランでたまに利用していました。

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 交差点の左端、写真では画面中央の電信柱があるあたりに昔、公衆電話ボックスがありました。その電話ボックスから北海道に住む友人に電話するため、100円玉をいっぱい積んでかけました。それでも北海道は遠くて、普通にかける10円玉の様な勢いで100円玉が落ちていきました。携帯、スマホで自由にコミュニケーションが取れる現代では考えられない話です。

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 同じ交差点を先ほどの白い建物の方から撮りました。このあたりに「さかき珈琲店」があったのです。20年あまり前に来たとき、もちろんもう「さかき珈琲店」はなくなっていて、ログハウス風の外観だけがわずかに残っていたのでした。

 ログハウス風の壁を目印に何度も探して見たのですが見つかりませんでした。以前来た時からでももう20年以上経っているので、おそらく建物ごと建替えられたのでしょう。

 「さかき珈琲店」の娘さん、現在結婚して長野在住の渡辺チエコさんのブログ情報によると「さかき珈琲店」のあったところ、今は別の方の骨董店になっているそうです。

 「さかき珈琲店」については、拙ブログ「そらへいの音楽館」のhttp://sorahei-s.blog.so-net.ne.jp/2011-07-08及びhttp://sorahei-s.blog.so-net.ne.jp/2012-11-02をご参照ください。

 渡辺チエコさんはちょうど1年前、懐かしい地元西荻で復活ライブをされたそうです。残念ながら私は行けなかったので今回西荻にはよけい思い入れがありました。


 次に私が住んでいたアパートがあったとおぼしきあたりを何回か回ってみましたが、またしてもそれらしき建物は見つかりません。以前来た時は、人が住んでいる気配はなかったのですが、アパートの建物自体は残っていました。

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 この路地の一角にあったと思います。私が住んでいたアパートともう一つ別のアパートが並んでいましたが、今は一軒家しかありませんでした。路地は突き当たって左に折れ、道なりに行くと元来たバス通りに出られるようになっていました。私は帰ってくるときは先ほどの交差点のある方から帰り、出かけるときはこの路地を抜けてバス通りに出ていました。

 路地は春になるとジンチョウゲの甘い香がしていたことをよく覚えています。途中に三味線屋さんがあり、広いガラス戸の向こうで、和服を着た男の人が板の間に正座して仕事をしていました。

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 今、そことおぼしき所はこんな風になっていました。

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 三味線屋さんのあった路地からバス通りに抜け出たところです。

 余談ですが、数年前、確かジャズのレコードをオークションで購入した時、送り主の住所が私がいたアパートの住所と近似していたので驚いたことがあります。そんな偶然もあるのですね。

 また、アパートの近くに故丹波哲郎さんの豪邸があったのですが、今回歩いて見つけられませんでした。その道を吉祥寺の方に向かうと、武蔵野を思わせるちょっとした森があったのですが、今はわずかに木々が残り、マンションや住宅が建ち並んでいました。


 西荻時代は、私の東京生活の中でも平穏で落ち着きのある楽しい時だったように思います。東中野の西日の差すアパートから、家賃は上がるけれど、閑静な住宅街、部屋は6畳間に十分な広さの押し入れと少し広めのキッチンがあり、日当たりと風通しの良い東南の角部屋でした。トイレはまだ共同でしたが、住人は私を含めて3人だけだったので東中野とは比べものにならないくらい快適でした。

 東京女子大の脇を通り抜けた奥には、善福寺公園があって、そこへもよく散歩に行ったりしていました。井の頭公園ほど広くも有名でもないのですが、水と緑の豊かな静かな公園でした。また中古の自転車を買って、松庵の方や、西武新宿沿線あたりまで足を伸ばしたりしていました。

 東中野の生活を峻烈な夏や冬に例えると、西荻の生活は穏やかな春や秋に例えられるかも知れません。実際、それぞれのアパートでの生活を思い出すと、それらの季節の思い出が蘇ります。

 聞いていた音楽も東中野では、マイルスクリフォード・ブラウンなどのジャズをしゃかりきになって聞いていましたが、西荻では静かにピリスグルミュオーのモーツァルトなどを聞くことが多かった気がします。

 私は西荻に3年から4年いたのですが、そのうちの2年は西荻北に、残りは西荻南に住んでいました。これも先ほどの例えを引用すると、西荻北での生活は希望に満ちた春であり、西荻南は淋しい秋に例えられるかと思います。実際、私は西荻南のアパートで東京生活に別れを告げる決心をしたのでした。

 楽しかった西荻北での生活が暗転したのは、駐輪場に預けていた自転車を盗まれた頃からだったような気がします。ちょっとしたいろいろな事に不便を感じるようになりました。同時に暮らし向きが思うように行かなくなり、親しかった人と誤解が元で仲違いになったりしました。挙げ句の果ては大家さんに追い出しを食らって、泣く泣く西荻南のアパートに引っ越したのです。

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 自転車を盗まれたガード下の駐輪場です。高い物でもなかったのですが、便利な足を奪われてショックでしたね。今から思えば買い直せば良かったのに、なぜか買い直すこともしませんでした。


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 ジャズ喫茶「アケタの店」の入り口です。平日の午前なので、店はまだ眠ったままでした。「物豆奇」で待ち合わせた女子大生と浅川マキのライブを聞きに行きました。そこであろうことか、男の私が痴漢に遭い、騒いでしまったので浅川マキさんに叱られたという苦い思い出があります。

 「アケタの店」を見つけたとき、あれ移転したんだと思いました。「アケタの店」は通りの左にあり、独立した建物だったと記憶していたのです。しかし、「ジャズ日本列島」を調べたら、当時と同じ住所でした。私の記憶違いです。

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 「アケタの店」から北口駅前に戻りました。奥に西友が見えます。当時西荻には北口と南口に西友がありました。今は、北口だけが残っているようです。少しだけ中に入ってみました。入ってすぐ左手奥、当時野菜などが売られていたところで、「さかき珈琲店」のお嬢さんを最後にお見かけしたのでした。

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 西荻窪駅南口です。真正面、私が暮らしていた当時、故菅原文太さんのお店がありました。何屋さんだったかすっかり忘れてしまいました。飲食店だったと思うのですが。

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  ぼんぼちぼちぼちさんの記事に登場したことがある象のアドバルーン、何処にあるのだろうと思っていたのですが、南口真正面の狭い商店街にありました。この商店街は、昔もあったと思いますが、私はあまり通った記憶がありません。

 中央線ガード沿いの道に戻って荻窪方面へ歩きます。南口は北口ほど思い入れはないのですが、それでもよく利用した食堂や喫茶店を探して歩きました。しかし、それとおぼしきお店を見つけることは出来ませんでした。

 ただ、昔利用した小さな書店が軒並み潰れている中で、ガード下マイロードにある「西荻ブックセラーズ」が健在だったのは嬉しかったですね。このお店は当時でも、店の外ではありましたが、数人が腰掛けられるベンチを設けたりしていました。

 南口のアパートもとうとう見つけることが出来ませんでした。アパートのあったあたり全体が変わってしまっているようでした。見覚えのある洋館風のお宅が近くにあったので、通りを間違えてはいないはずなのですが。

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 ざっと二時間あまり歩いたでしょうか。今日行けなかったところ、もっと足を伸ばして西武新宿沿線なども歩きたかったのですが、もう時間も体力も限界に近づいていました。

 いつもならもっとお遅い時間に新幹線の指定を取るのに、歳のせいでしょうか、明日仕事と言うこともあって午後の早い時間に指定を取ってしまっていたため、残された時間はわずかになっていました。土産を買う時間なども算段しながら、残った時間をどう有効に使うか、考えながら中央線の乗客となりました。


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浦島そらへい東京を行く~西新宿編 [旅]

 二日目の泊まりは西新宿にあるホテルでした。駅から少し距離があったのですが通い慣れた西新宿です。すぐ分かると思ったのが大間違いでした。

 ホテルへ向かう時間が夜になったこと、地上に出ずに懐かしい地下通路を通ってしまったりしたこと、スマホのナビの案内が不安定だったことなどが重なって、地上に出てからしばらく反対方向に歩いてしまい、チェックインが0時前になってしまいました。

 それにしても西新宿の夜は凄いですね。通りを歩いていると目の前に夜よりも黒い高層ビルの壁が立ちはだかり、その上層階から夜の目のように切り取られた明かりがこちらを見下ろしています。その光景は決して田舎では目にすることができないものです。

 二泊目の夜は、一人です。すっかり寛いでしまい、晩酌をする習慣がない私ですが、ホテルに併設されたコンビニで缶ビールとつまみを買って、この夜二度目のビールを楽しみました。

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 翌朝、ホテルで朝食を済ませて外へ出ると、空は昨日と打って変わってどんより曇り空でした。昨日まで、用意して来た長袖がいらない陽気だったのに、この朝、初めて半袖が少しひんやりして感じられました。

 しかし、それ以上に歩き出してすぐに感じたのが昨日までなかった両膝の違和感です。どうやら昨日一日歩き回ってその疲労が膝に来たようでした。同級生に会って昔の自分に戻るように、東京に会って昔の自分に戻ったような気がしていたのですが、さすがに歳はごまかせないですね。

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 さて、朝見る西新宿は明るくて、本当に林のように、高層ビルがいくつも立ち並んでいました。標識に従い、通りを駅の方角に向かって歩きますが自分の位置が今ひとつ分かりません。やがて都庁のツインタワーや京王プラザホテルが見えてきて、ようやく自分の位置が分かってきました。

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 新宿駅西口から延びた通路と立体交差した通路を私は歩いているのでした。そして都庁の向こうに、なじみのある住友三角ビルが見えてきました。ああ、あんなに小さくなったんだと思うくらい、かつて偉容を誇った三角ビルが回りの新しいビルに囲まれて小さく見えました。

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 その横の薄くオレンジがかった背の低いビルが小田急ハイアットだと思うのですが、帰郷するときこのビルはまだ建設中でした。

 宿が都庁近くだったので、都庁の展望台に上がろうと思っていたのですが、昨夜は遅すぎて駄目でした。そして、今朝は逆に早すぎてまだ展望台が開いていません。九時半の開場まで時間をつぶすのが惜しくて、今回はあきらめることにしました。

 最大五連休のシルバーウィークが昨日で終わって、今日から世間は通常モードです。ホテルを出た時から街にはスーツ姿のサラリーマンやOLなど勤め人らしい姿が目立っていました。三井ビルのレンガ広場から西口通路は出勤する人たちのものすごい波でいっぱいでした。その人の波に抵抗するように私は一人、新宿駅に向かいました。

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 私が住んでいた頃の西口通路は、ホームレスの宿になっていました。通路から西口広場にかけて、ホームレスが段ボールの小屋を連ね、仲間同士集まってカップ酒で宴会を開いたりしていました。

 彼らは何処へ行ってしまったのか、今回はすっかり姿を見かけませんでした。かつて新宿は東でも西でもホームレスは当たり前にいて、駅のシャッターの前で寝転がったり、裏通りの飲食店のゴミを漁ったりしていました。

 私は彼らの姿を見るたびに、いつか自分もそうなるのではないかと不安になったものでした。それは私が他の人に比べて貧しく孤独だったので、よりホームレスに近い存在に思えたからでした。でも実際は、昨日までスーツを着ていたサラリーマンがあっという間にホームレスになるのだと聞きました。そしていったんホームレスになるとなかなか抜け出せないのだとも。

 上京した1971年、西口広場の学生運動はすでに沈静化していました。そしてその代わりにホームレスの段ボール小屋があたりを占拠し、制服を着た世界救世軍が道行く人たちに募金を呼びかけたりしていました。

 出勤していく大勢の人の足音で西口の通路はわーんと響いています。そのすさまじい人の行軍にさすがのホームレスも寄りつけないのでしょうか。かつての西口広場のことを思い出しながら、私はこれから荻窪に寄ろうか、それとも一気に西荻窪に行ってしまおうか迷いながら歩いていました。

 いつも上京した時は、必ず新宿駅東口、新宿通りや靖国通り、あるいは歌舞伎町などを用はなくても歩いてみるのですが、今回は宿が新宿だったにも関わらず、新宿を歩く時間は取れそうにありませんでした。


 記憶は曖昧です。歳を取れば取るほどその量は増えるのに、保持する力は年々弱っていきます。時々、思い出が現実のことであったのか、夢の中でのことであったのか分からなくなったりすることがあります。

 今回、高円寺で「ネルケン」に立ち寄ったことで、曖昧だった記憶が一つ明確になりました。もう一つ、たぶん荻窪にある「ミニヨン」という音楽喫茶の記憶が曖昧で、「ネルケン」に行く前は混同していたような気がします。

 それどころか、「ネルケン」や「ルネッサンス」に行ってから、その印象が強烈だったからでしょうか。さらに新たな疑問が生まれて来ました。「ネルケン」に行ったのは、東京に住んでいた頃のことだと思うのですが、つい最近にも来たような気がしてくるのです。

 また「ルネッサンス」が出来たのが2007年であるにもかかわらず、デジャブのように「ルネッサンス」に以前も訪れ、同じ席でコーヒーを飲んだような気がしてくるのです。たぶん、ネットで下調べした時の印象が記憶となって影響しているのではないかと思うのですが。

 荻窪南口は、駅前の喧噪とは別世界のようにのどかで穏やかな風景の記憶があります。しかし記憶は途切れ途切れで繋がりません。それが「ミニヨン」を探していた頃のことだったのか、あるいは別の時のことだったのか、判然としません。それどころか、それら記憶のひとつひとつが曖昧で、すべて夢の中のことではなかったかと思えてくるのです。

 そんな曖昧な記憶をなんども反芻していると、やがて脳の中にぶすぶすと穴が開いていくように、私が暮らした東京の8年間が、全て曖昧模糊としたものになって行ってしまう日があるような気がします。自分の生きた証を探してみても、街はどんどん変貌し、記憶は反対に薄れていくばかりです。

 新快速が止まる平日、私は荻窪を通り越して一路西荻窪に向かうことにしました。車窓から一生懸命、昔見慣れた看板や建物を探そうとしましたが、頼りない記憶をあざ笑うかのように電車は今の時を駆け抜けていきます。

 スペースを使いすぎてしまいました。西荻の話はまた次回に回すことにします。


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浦島そらへい東京を行く~高円寺から吉祥寺編 [旅]

 上京二日目の午後、同級生たちと別れた私は、懐かしい中央線沿線を各駅停車で移動しました。東中野、中野と歩いて次はお隣の高円寺に降り立ちました。

 この街にはそれほど深い思い出や人とのつながりはないのですが、なんとなくよく歩いた街でした。南口高架線路沿い路地を入った所に「洋燈舎」というジャズ喫茶があって、ちょくちょく通っていました。ここはLUXの真空管プリメインSQ38JBL D130+175というあこがれのオーディオが組まれたお店でした。

 もっともこの洋燈舎も、私が東京を去ってしばらくしてから来た時はもうなくなっていました。確か、ロックのお店になっていたように思うのですが、似たような路地がいくつもあって実際どの場所だったかはっきりしません。

 他にも記憶が曖昧で確かめたいと思うことがあったので、早く西荻窪に行きたい気持ちを抑えて高円寺に降りました。降りて駅前に立つとあったはずの大きなアーケードの商店街が見当たりません。え、東京でも商店街潰れているのかと少し焦ったのですが、何のことはない南口と北口、出口を間違えたのでした。

  ぼんぼちぼちぼちさんがおっしゃっていたように駅近くの中央線高架下、怪しげな界隈は今も健在でした。薄暗い通路の回りにお店がポツポツとあって一種独特の雰囲気を醸しているのですが、普通に学生や勤め人が歩いたり自転車で通り抜けたりしていました。

 その中の一件の古本屋さんは、以前見かけたお店と同じかどうか分かりませんが、なかなか骨のある店構えでした。通路に面した壁が本棚になっていて、1970年代頃に流行ったとおぼしきタイトルがずらっと並んでいました。

 その本棚は、お店の人たちからは完全なブラインド、万引きし放題なのですが、持って行けるものなら持っていってみろと言った気概を感じさせる品揃えに見えました。

 パル商店街という南口アーケードをずっと歩いて行き、最初に交差する道を右に折れ、さらに少し歩いて右に曲がると、そこに行き止まりのように見える空間が現れます。その一角に名曲喫茶ネルケンがありました。私の記憶の中では夢のように曖昧になっていたのですが、行って見るとほぼ記憶通りの道順と記憶通りのたたずまいでした。 

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 店内の様子も以前来た時とほとんど変わっていません。連休中の午後ですが、客はあまりいませんでした。老婦人が一人で店を切り盛りされているのか、注文を聞きに来てコーヒーを届けてくれました。その様子も昔と変わりないように思えました。

 店内には絵画や彫刻が飾られています。誰の曲なのか、交響曲が厳かにかかっていました。クラシック音楽、絵画、彫刻、と並ぶとなんとなく般若坊さんのブログを連想してしまいます。

 歩き疲れたこともあってもっとゆっくりしたかったのですが、旅人には時間がありません。コーヒーを飲むだけ飲むと、お店を出ました。外はすでに薄暗くさらに日暮れの気配を強めていました。

 私はその時点でこれから西荻窪に行くことをあきらめ、明日に回すことにしました。もう一件行きたいお店があったのです。アーケード街に戻ってさらに先へ進みました。思ったより近くに名曲喫茶ルネッサンスの黄色い看板を見つけることが出来ました。

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 ここは中野の「クラシック」が、2005年に閉店してその二年後に、その遺志と遺品を受け次いで開かれたお店だそうです。 店は「クラシック」と違って、地下一階にありましたが、店内の様子、調度などははやり「クラシック」を忍ばせるものがありました。

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 今時、珍しく各テープルに大きな灰皿が用意されていました。ホルストの「惑星」の後、耳になじみのチゴイネルワイゼンがかかりました。

 世間の喧噪から隔離された空間は別の時間が流れているようでした。東京に住んでいたら休みの日、こんな店で午後のひとときを過ごしてみたくなるようなお店ですね。写真には写っていませんが、若いお客も数人いました。

 ルネッサンスを出ると、外はもうほとんど暮れていました。アーケード街を元来た方向へ駅に向かって戻ります。足取りは軽く、数十年前の若者の様に早足です。少しも疲れを感じません。

 夕暮れ、知らない都会の街を一人で歩いていると、一瞬不安の様なものが過ぎります。以前ならどんなに遅くなっても、汚くて狭いけれど帰るアパートがありましたが、今はありません。

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 高円寺駅まで戻ると、すっかり暗くなった街にネオンサインの明かりが賑わっていました。せっかく来たので北口も少しだけ歩いてみます。やはり駅前にシャッターが降りた小さな間口の本屋の跡があり、路地を行った所、かつてあったとおぼしきあたりに映画館はありません。

 写真ではわかりにくいですが、正面が高円寺北口にある「高円寺純情商店街」です。昔からこんな名前だったかなと思って調べてみたら、昔は『高円寺銀座商店街』だったそうです。ねじめ正一さんの小説の舞台となって、この名に変わったようです。

 中央線快速は、休日、高円寺には止まらないので、結局ずっと総武線各停に乗って、阿佐ヶ谷、西荻窪を通り越してもう夜のとばりに包まれた吉祥寺に向かいました。

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 サンロード入り口です。暗くなっても相変わらずたくさんの人たちですね。そして歩いている人たちが若いです。とうぜんですが。

 吉祥寺の街中を歩いていたら、diskUNIONの看板が目にとまりました。今回の旅行でdiskUNION、audioUNIONにも寄ってみたくて、新宿の店は検索してあったのですが、思いがけず吉祥寺で見つけたので入って見ることにしました。

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 店内はたくさんのレコードとCD、それに音楽関係の中古雑誌や書籍が置かれていました。レコードの棚の前に立って、すぐに荷物になるので買えないなぁと思いました。レコードは、オリジナルや稀少盤でもない限り、安いように思えました。

 「FUNKY」です。場所は同じかどうか知りませんが、かつてはジャズ喫茶だったお店ですが、今はこじゃれた飲み屋さん風になっていて、ちょっと一人で入るには敷居が高く思え、スルーしました。

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 次に見つけたのがSOMETIMEです。こちらも昔はジャズ喫茶でしたが、今はライブハウスになっているようです。以前に来ているはずですが、街並みが変わり、夜と言うこともあって探すのに少し手間取りました。今は知りませんが、以前はFUNKYと同じ経営者でした。

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 緑色の広告ボックスに見覚えがあるような気がします。地下を降りていくと奏者のいないステージで楽器たちが静かに出番を待っていました。

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 レンガ造りの倉庫のような内装は昔とたぶん同じではないかと思います。演奏が始まっていない店内に軽くジャズが流れていて、以前の大音量のジャズ喫茶ではありません。

 私が入店した頃は、客席まばらでしたが、演奏時間が近づくにつれ次第に席が埋まっていきました。今日の演奏者のファンや知り合いの方も見えているようです。

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 ジャズ喫茶ならコーヒーなのですが、ここではやはりアルコールが似合うだろうと言うことで、とりあえずビールとポテトチップスを頼んでみました。

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 鈴木良雄(b)カルテットです。井上信平(flt)、野力奏一(p)、岡部洋一(perc)

 久しぶりのライブでした。演奏者のごく近くで迫力満点です。お酒を飲みながらリラックスして聞いてましたが、演奏はかなり熱演でしたね。

 せっかく上京するので、出来たらブログでお知り合いになったジャズピアニスト小野孝司さんのライブに行きたいと思っていたのですが、ご本人のスケジュールと私の上京のタイミングが合いませんでした。と言うか、後で調べてみたら小野さんが東京で本拠地にされている銀座 CYGNUSというライブハウス、シルバーウィークの連休中はお休みなのでした。

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 ツーステージあったのですが、時間がないのでワンステージだけ聞いてサムタイムを後にしました。そのまま、吉祥寺の駅に向かえば良かったのですが、もう一件「メグ」を探してみました。ここは寺島靖国さんのお店です。東京在住中も入ったことあるのですが、もう場所も店の様子もすっかり忘れています。

 しかし、なかなか見つかりませんでした。吉祥寺の夜も更け始めて人通りも少し減ってきているようでした。スマホのナビの案内でようやく近づいたと思ったら、通りのあちこちに黒服がいて、盛んに客引きをしてきます。とても奥まで進める状況ではなかったので、あきらめて駅に戻りました。

 時刻はもう九時半を過ぎていました。新宿方面行き快速に乗り、大急ぎで向かったにもかかわらず、カレーの店「ガンジー」の明かりは消えていました。

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 以前来た時は昼間だったのでオーナーのkazuoさんいませんでしたが、ひょっとしたら夜ならいるかと思って期待していたのですが、少し吉祥寺で長居しすぎたようです。




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