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おまけ~四ッ谷編 [旅]

 西荻で私の今回の東京旅行は終わったのでしたが、帰りの新幹線乗車までわずかに時間が残っていたので、その時間をどう有効に使うか思案を巡らせました。

 西荻を歩き終えてからでも何とか行けそうなお店が三つありました。荻窪の名曲喫茶「ミニヨン」、新宿のジャズバー「DUG」、四ッ谷のジャズ喫茶「いーぐる」などです。後のお店は不定期だったり、開店時間がもっと遅くて不可能でした。

 三店とも過去に訪れているのですが、新宿の「DUG」以外は記憶がほとんどありません。そういう意味では「DUG」でも良かったのですが、開店時間が一番早いこと、四ッ谷駅から近いこと、東京駅にも近いので、「いーぐる」に行ってみることにしました。

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 「いーぐる」はマッチを持っているので、その昔、一度は行っているはずなのですがまるで記憶がありません。ジャズ喫茶なので裏通りにあるものと思っていたら賑やかな新宿通に面していて驚きました。家に帰ってから「ジャズ日本列島」で調べてみたら昔と同じ所でした。

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 しかし、店の入り口は地下にありました。地下に降りていく狭いらせん階段、その壁面は懐かしいポスターで覆われていて、雰囲気十分でした。

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 店の入り口扉の横には、週刊分冊の広告ポスターが貼られているのですが、なんだか今もマイルス・デイビスが活躍している時代にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。

 左の扉を開けると店内です。地下を降りて扉を開ける前から聞き慣れた女性の歌声が聞こえていました。歌の主はどうやら美空ひばりのようです。

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 店内に入ると中は地下とは思えない広さでした。そして地下ともジャズ喫茶とも思えない明るさです。歌声は正面の壁面に埋め込まれたJBLの大型スピーカーから流れています。

 ちょうどお昼時だったので、珈琲とセットになったパスタセットのナスとキノコのトマトソースを注文しました。私の後から年配の男性が一人、それから若いサラリーマン風の客が入ってきて、それぞれパスタセットを注文していました。

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 オーディオセットは私が座った正面のブラインドの中にあるようです。はっきりと見えませんがターンテーブルらしき金属の輝きが見えます。もう少しオーディオシステムのそばに座るべきでした。

 ホームページの資料によると スピーカーはJBL 4344 Mark ll・ プリアンプ アキュフェーズ C 280V・ パワーアンプ マークレヴィンソン 23.5L・ CDプレイヤー デンオン DCD SA1・ CDプレイヤー アキュフェーズ DP 67・ アナログプレイヤー ヤマハ GT 2000・ カートリッジ デンオン DL 103 LC llとなっています。

 美空ひばりのジャズを聴きながら味わうパスタも珈琲もおいしかったですね。お腹もくちて、ずっとその場で寛いでいたかったのですが、時間が無かったので美空ひばりのCDを一枚聞き終わらないうちにお店を後にしました。

 知らなかったのですが、このお店のオーナー後藤雅洋氏はたくさんのジャズ関係の著書も出しておられるのですね。その作品一覧を見てみたら、読んだ本が数冊ありました。

 「いーぐる」の歴史も1967年からですからもう半世紀近いですね。私が行ったのは1975年頃なのでそれでももう40年の時が経っています。ジャズ喫茶、閉店していく店が多い中で、ずっと四ッ谷の新宿通りで営業続けられているって凄いですね。

いーぐる a.JPG いーぐる b.JPG 

 1975年当時のマッチです。古い写真を見ると、当時も店内にブラインドが効果的に配されていたようです。オーディオシステムは、アンプがハーマンカードン・サイテーション11、12、レコードプレーヤーがDENON・DP3700F、スピーカーがJBL・130A+LE175+HL91でした。

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 今回、マッチはさすがに無さそうだったので、紙ナプキンを失敬してきました。


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 さて、もう東京駅でお土産を買う時間くらいしか時間がなくなってしまいました。四ッ谷駅に戻る道すがら、緑が多い事に改めて気づきました。四ッ谷駅周辺はあまり降りたことがありませんでしたが、近くに外堀公園があったのですね。

 地図で見ても、皇居や赤坂御用地、新宿御苑などに囲まれています。駅のホームも都心の駅とは思えない緑の多さです。

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 四ッ谷駅のレンガは駅員3さんの興味の対象にはならないのでしょうか。




 今回の東京旅行、行ったのは九月末だったのにブログでの報告に約二ヶ月を要してしまいました。長々と思い出をたどるだけの旅の記録でしたが、皆様お付き合いありがとうございました。

 ずっと行きたいと思っていたので、念願を果たせて今はすっきりした気分です。東京に行くと必ず新宿と秋葉原を歩くのですが今回は歩けなかったのが少しだけ心残りです。

 また、当時お付き合いしていた人たちを巡る旅もしてみたかったのですが、いくら東京の街がうつろい安いとはいえ、人ほどではありません。それにそうしたことを考えるにはもう時間が経ちすぎてしまいました。

 前にも言いましたが、今まで東京に行くと若い人が目にとまったのに、今回はなぜか年配の方ばかり目が行ってしまいました。自分を重ね合わせたり、ひょっとして当時すれ違ったり何かしら交渉があった可能性のある人たちというのは、もう年配者しか考えられませんでした。

 念願をひとつ果たして、次はわずか二年しかいませんでしたが、それっきり訪ねていない名古屋に行ってみたいなと思ってます。こちらは近いので日帰りできそうです。

 そしてほぼ20年、ご無沙汰している北海道に行ってみたいですね。これは妻を連れて行かないと怒られそうです。いつになるか分かりませんが、いつか行けるという希望を持って日々を過ごしていこうと思っています。


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秋、深まりつつ [自然]

 たった三日間の東京旅行を約二ヶ月にわたって投稿している間に、季節はいつの間にか11月半ばです。カレンダーも残すところあと一枚と半分になってしまいました。

 車を走らせながら周囲の山を仰いで見ると、まだ鮮やかさは足りませんが、山肌がこんもりと黄や朱色の斑模様になってきているのが分かります。

 10月末は寒くなるスピードが早くて、今年はどうなるだろうと思っていたら11月に入って異例の暖かさが続いています。10月と11月が入れ替わったかのようです。しかも10月は記録的な少雨だったのに、11月はよく降ります。この時期としては強い降りです。今の時期の雨をサザンカ梅雨と言うのだとテレビで言ってました。

 以下の写真は、1週間ほど前の午後、裏山に行ってきた時のものです。

_DSC0290.JPG 氏神様の参道の紅葉、毎年真っ赤に染まるのですが、まだ染まり具合が足りません。

_DSC0292-001.JPG それでも気の早い木の葉が参道に散り敷いています。

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_DSC0297.JPG 元旦の大雪から始まった宮守当番もそろそろ終わりに近づいてきました。やれやれです。

_DSC0301.JPG 幼稚園の上にあるカリンの木、葉がすっかり落ちているのに実だけがまだ残っていて、大きな鳥が止まっているかのようです。

_DSC0305.JPG 幼稚園のイチョウもほとんど葉を落としていました。

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_DSC0612.JPG 見事に色付くメタセコイヤもまだこんな具合です。

_DSC0331.JPG ハゼの木にジョウビタキの雌がいました。今シーズンの初撮りです。

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_DSC0388.JPG 山道の入り口にある谷川。

_DSC0392.JPG 谷川沿いの林道を上がります。

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_DSC0562-001.JPG エナガ

 ちょこまか動いてなかなかうまく撮らせてくれません。去年買った中古の望遠レンズ(18ミリ~300ミリ)、合焦が遅く、やっと合ったと思ったらもう鳥はそこにいません。なんとか撮れてもピントが甘いのはレンズが暗いせい、それとも手振れ補正機能が弱いのでしょうか。腕が足りないのはもちろんなのですが。

 今まで70ミリ~300ミリの望遠を使っていたのですが、鳥も撮りたい、景色も撮りたいと言うことがあって、そのたびにレンズ交換する煩わしさに、どちらも撮れるレンズを購入したのですが、やはり鳥も風景も一本のレンズで済まそうとするのは無理があるのかも知れません。鳥撮り用は元の70ミリ~300ミリに戻そうかと思います。

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_DSC0402.JPG 何の実?

_DSC0508.JPG コツコツと木を突くコゲラ

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_DSC0446.JPG 黄色い葉の木は自生の柿の木です。近づくといくつか実がなっていました。

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_DSC0533-002.JPG フユイチゴ

_DSC0451.JPG この赤い実はモチノキでしょうか。

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_DSC0592.JPG サンザシの実?

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_DSC0602.JPG モクレン

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 いつも山に行くときは午前中から行くのに、この日は午後から行きました。上がるときは、気持ち良い青空だったのに、2時間ほどいる間にいつの間にか曇ってしまって、秋の短い日は急に夕支度を始めたかのようです。追い立てられるように山を下りました。


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浦島そらへい東京を行く~西荻編 [旅]

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 西荻に着きました。久しぶりの西荻です。正式には西荻窪なんですが、「にしおぎ」と略して呼んでいたような気がします。今もそうかもしれません。

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 ホームから階段を降りて改札口まであまり昔と変わらない印象でした。改札口も当時と同じ所にあり一カ所だけでした。改札を出ると正面、ここにも駅ナカのショッピングモールがありました。

 その前では野菜の朝市が開かれる準備が始まっていました。西荻は私が住んでいた当時から、無農薬野菜とか有機野菜を売っている店があって、そういう面では先進的な所だと思います。

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 駅北口を出たところから見た西荻窪駅の外観です。当然ですが、駅舎もその回りも私が知っている姿とは違ってずいぶん洗練されたように見えます。

 まず、北口駅前から吉祥寺方面に伸びる駅前のバス通りを歩くことにします。この道は伏見通りと言うそうです。私はずっと女子大通りと思っていたのですが、女子大通りはもう少し先のようです。

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 歩き出してすぐ右手にモスバーガーがあります。ここに昔「リスドオール」と言うパン屋さんと喫茶店が一緒になったお店がありました。一階がパン屋さんで二階が喫茶店、昔は喫茶店を併設したパン屋さんやケーキ屋さんがたくさんあったものです。ここもそんな一つでした。

 店長さん夫妻はどちらがどっちだったか忘れましたが、北海道と九州出身者で東京で出会って結ばれたご夫婦でした。店長さんはそれまで、パンの配送運転手をしていたのにお店を任されて、ネクタイ姿がなかなか板につかない面白いおじさんでした。奥さんは小柄でしっかり者、庶民的で素敵なご夫婦でした。

 パンを買ったり、二階の喫茶店で長時間粘ったり待ち合わせに利用させてもらったりして、懇意にさせていただきました。今はすっかりモスバーガーの店舗になっていますが、色こそ違え建物の全体の印象は昔と似ています。外壁を塗り替え改築して利用しているのかもしれません。

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 驚いたのはその隣の路地にあるビリヤードの看板でした。昔と同じ位置にあるように思えます。もっとも当時は電光式ではありませんでした。もちろん、回りの建物などもすっかり変わっています。

 懐かしい思い出にしばしたたずんだ後、モスバーガーの店の前を通って吉祥寺方面、私が住んでいたアパートのある方へ向かいます。空は相変わらずどんより曇り続け、膝の違和感は昨日までの達者な歩きを許しません。荷物を駅のコインロッカーに預け忘れてしまい、バッグとカメラの重みが肩に食い込みます。

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 古いたたずまいです。見覚えがあるような気がするのですがあまり鮮明な記憶は蘇ってきません。そう言えば、この蕎麦屋さんの近くに畳店がありました。職人さんが店先で肘を立てて畳の縁を編んだりしてましたね。

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 このお店ははっきり覚えています。私が西荻に住んでいた頃に出来たのでした。デートではないのですが、一度だけある女子大生とここで待ち合わせをしたことがあります。暗い店内で、アンティークなテーブルや椅子などが配置されていたように思います。どんな音楽が鳴っていたか記憶がありません。

 毎日通った通りですが、はっきりと見覚えがあるのは「物豆奇」だけだったかも知れません。当時コンビニはまだ出始めの頃で普及していませんでした。代わりに個人営業の小さなスーパーがありました。他にやはり小さな書店、古本屋、ケーキ屋、煙草屋、パチンコ店などの記憶があるのですが、今は面影を見つけるのも難しそうです。

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 小さなスーパーがあったあたりのビル、その地下にロックのライブをやっているお店がありました。写真の撮り方が中途半端で店名がはっきり見えてませんが、こういうのを見ると西荻も頑張っているなぁと言う気がします。

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 狭い通りを相変わらずバスやタクシーが通り過ぎて行きます。こういう所は昔と少しも変わっていないですね。通りはやがて突き当たって右に折れ、そのすぐ先の交差点を左に曲がると女子大通りに繋がります。

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 その交差点です。正面の道が女子大通りに繋がる道です。私が住んでいたアパートはこの道の左手、交差点から数えて最初の路地だったか二本目の路地だったかを入った所にありました。

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 交差点を別の角度から撮りました。白い建物は、昔もあったような気がします。色はもっと違った気がするのですが、一階のシャッターが閉まったところは当時レストランでたまに利用していました。

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 交差点の左端、写真では画面中央の電信柱があるあたりに昔、公衆電話ボックスがありました。その電話ボックスから北海道に住む友人に電話するため、100円玉をいっぱい積んでかけました。それでも北海道は遠くて、普通にかける10円玉の様な勢いで100円玉が落ちていきました。携帯、スマホで自由にコミュニケーションが取れる現代では考えられない話です。

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 同じ交差点を先ほどの白い建物の方から撮りました。このあたりに「さかき珈琲店」があったのです。20年あまり前に来たとき、もちろんもう「さかき珈琲店」はなくなっていて、ログハウス風の外観だけがわずかに残っていたのでした。

 ログハウス風の壁を目印に何度も探して見たのですが見つかりませんでした。以前来た時からでももう20年以上経っているので、おそらく建物ごと建替えられたのでしょう。

 「さかき珈琲店」の娘さん、現在結婚して長野在住の渡辺チエコさんのブログ情報によると「さかき珈琲店」のあったところ、今は別の方の骨董店になっているそうです。

 「さかき珈琲店」については、拙ブログ「そらへいの音楽館」のhttp://sorahei-s.blog.so-net.ne.jp/2011-07-08及びhttp://sorahei-s.blog.so-net.ne.jp/2012-11-02をご参照ください。

 渡辺チエコさんはちょうど1年前、懐かしい地元西荻で復活ライブをされたそうです。残念ながら私は行けなかったので今回西荻にはよけい思い入れがありました。


 次に私が住んでいたアパートがあったとおぼしきあたりを何回か回ってみましたが、またしてもそれらしき建物は見つかりません。以前来た時は、人が住んでいる気配はなかったのですが、アパートの建物自体は残っていました。

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 この路地の一角にあったと思います。私が住んでいたアパートともう一つ別のアパートが並んでいましたが、今は一軒家しかありませんでした。路地は突き当たって左に折れ、道なりに行くと元来たバス通りに出られるようになっていました。私は帰ってくるときは先ほどの交差点のある方から帰り、出かけるときはこの路地を抜けてバス通りに出ていました。

 路地は春になるとジンチョウゲの甘い香がしていたことをよく覚えています。途中に三味線屋さんがあり、広いガラス戸の向こうで、和服を着た男の人が板の間に正座して仕事をしていました。

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 今、そことおぼしき所はこんな風になっていました。

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 三味線屋さんのあった路地からバス通りに抜け出たところです。

 余談ですが、数年前、確かジャズのレコードをオークションで購入した時、送り主の住所が私がいたアパートの住所と近似していたので驚いたことがあります。そんな偶然もあるのですね。

 また、アパートの近くに故丹波哲郎さんの豪邸があったのですが、今回歩いて見つけられませんでした。その道を吉祥寺の方に向かうと、武蔵野を思わせるちょっとした森があったのですが、今はわずかに木々が残り、マンションや住宅が建ち並んでいました。


 西荻時代は、私の東京生活の中でも平穏で落ち着きのある楽しい時だったように思います。東中野の西日の差すアパートから、家賃は上がるけれど、閑静な住宅街、部屋は6畳間に十分な広さの押し入れと少し広めのキッチンがあり、日当たりと風通しの良い東南の角部屋でした。トイレはまだ共同でしたが、住人は私を含めて3人だけだったので東中野とは比べものにならないくらい快適でした。

 東京女子大の脇を通り抜けた奥には、善福寺公園があって、そこへもよく散歩に行ったりしていました。井の頭公園ほど広くも有名でもないのですが、水と緑の豊かな静かな公園でした。また中古の自転車を買って、松庵の方や、西武新宿沿線あたりまで足を伸ばしたりしていました。

 東中野の生活を峻烈な夏や冬に例えると、西荻の生活は穏やかな春や秋に例えられるかも知れません。実際、それぞれのアパートでの生活を思い出すと、それらの季節の思い出が蘇ります。

 聞いていた音楽も東中野では、マイルスクリフォード・ブラウンなどのジャズをしゃかりきになって聞いていましたが、西荻では静かにピリスグルミュオーのモーツァルトなどを聞くことが多かった気がします。

 私は西荻に3年から4年いたのですが、そのうちの2年は西荻北に、残りは西荻南に住んでいました。これも先ほどの例えを引用すると、西荻北での生活は希望に満ちた春であり、西荻南は淋しい秋に例えられるかと思います。実際、私は西荻南のアパートで東京生活に別れを告げる決心をしたのでした。

 楽しかった西荻北での生活が暗転したのは、駐輪場に預けていた自転車を盗まれた頃からだったような気がします。ちょっとしたいろいろな事に不便を感じるようになりました。同時に暮らし向きが思うように行かなくなり、親しかった人と誤解が元で仲違いになったりしました。挙げ句の果ては大家さんに追い出しを食らって、泣く泣く西荻南のアパートに引っ越したのです。

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 自転車を盗まれたガード下の駐輪場です。高い物でもなかったのですが、便利な足を奪われてショックでしたね。今から思えば買い直せば良かったのに、なぜか買い直すこともしませんでした。


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 ジャズ喫茶「アケタの店」の入り口です。平日の午前なので、店はまだ眠ったままでした。「物豆奇」で待ち合わせた女子大生と浅川マキのライブを聞きに行きました。そこであろうことか、男の私が痴漢に遭い、騒いでしまったので浅川マキさんに叱られたという苦い思い出があります。

 「アケタの店」を見つけたとき、あれ移転したんだと思いました。「アケタの店」は通りの左にあり、独立した建物だったと記憶していたのです。しかし、「ジャズ日本列島」を調べたら、当時と同じ住所でした。私の記憶違いです。

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 「アケタの店」から北口駅前に戻りました。奥に西友が見えます。当時西荻には北口と南口に西友がありました。今は、北口だけが残っているようです。少しだけ中に入ってみました。入ってすぐ左手奥、当時野菜などが売られていたところで、「さかき珈琲店」のお嬢さんを最後にお見かけしたのでした。

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 西荻窪駅南口です。真正面、私が暮らしていた当時、故菅原文太さんのお店がありました。何屋さんだったかすっかり忘れてしまいました。飲食店だったと思うのですが。

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  ぼんぼちぼちぼちさんの記事に登場したことがある象のアドバルーン、何処にあるのだろうと思っていたのですが、南口真正面の狭い商店街にありました。この商店街は、昔もあったと思いますが、私はあまり通った記憶がありません。

 中央線ガード沿いの道に戻って荻窪方面へ歩きます。南口は北口ほど思い入れはないのですが、それでもよく利用した食堂や喫茶店を探して歩きました。しかし、それとおぼしきお店を見つけることは出来ませんでした。

 ただ、昔利用した小さな書店が軒並み潰れている中で、ガード下マイロードにある「西荻ブックセラーズ」が健在だったのは嬉しかったですね。このお店は当時でも、店の外ではありましたが、数人が腰掛けられるベンチを設けたりしていました。

 南口のアパートもとうとう見つけることが出来ませんでした。アパートのあったあたり全体が変わってしまっているようでした。見覚えのある洋館風のお宅が近くにあったので、通りを間違えてはいないはずなのですが。

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 ざっと二時間あまり歩いたでしょうか。今日行けなかったところ、もっと足を伸ばして西武新宿沿線なども歩きたかったのですが、もう時間も体力も限界に近づいていました。

 いつもならもっとお遅い時間に新幹線の指定を取るのに、歳のせいでしょうか、明日仕事と言うこともあって午後の早い時間に指定を取ってしまっていたため、残された時間はわずかになっていました。土産を買う時間なども算段しながら、残った時間をどう有効に使うか、考えながら中央線の乗客となりました。


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浦島そらへい東京を行く~西新宿編 [旅]

 二日目の泊まりは西新宿にあるホテルでした。駅から少し距離があったのですが通い慣れた西新宿です。すぐ分かると思ったのが大間違いでした。

 ホテルへ向かう時間が夜になったこと、地上に出ずに懐かしい地下通路を通ってしまったりしたこと、スマホのナビの案内が不安定だったことなどが重なって、地上に出てからしばらく反対方向に歩いてしまい、チェックインが0時前になってしまいました。

 それにしても西新宿の夜は凄いですね。通りを歩いていると目の前に夜よりも黒い高層ビルの壁が立ちはだかり、その上層階から夜の目のように切り取られた明かりがこちらを見下ろしています。その光景は決して田舎では目にすることができないものです。

 二泊目の夜は、一人です。すっかり寛いでしまい、晩酌をする習慣がない私ですが、ホテルに併設されたコンビニで缶ビールとつまみを買って、この夜二度目のビールを楽しみました。

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 翌朝、ホテルで朝食を済ませて外へ出ると、空は昨日と打って変わってどんより曇り空でした。昨日まで、用意して来た長袖がいらない陽気だったのに、この朝、初めて半袖が少しひんやりして感じられました。

 しかし、それ以上に歩き出してすぐに感じたのが昨日までなかった両膝の違和感です。どうやら昨日一日歩き回ってその疲労が膝に来たようでした。同級生に会って昔の自分に戻るように、東京に会って昔の自分に戻ったような気がしていたのですが、さすがに歳はごまかせないですね。

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 さて、朝見る西新宿は明るくて、本当に林のように、高層ビルがいくつも立ち並んでいました。標識に従い、通りを駅の方角に向かって歩きますが自分の位置が今ひとつ分かりません。やがて都庁のツインタワーや京王プラザホテルが見えてきて、ようやく自分の位置が分かってきました。

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 新宿駅西口から延びた通路と立体交差した通路を私は歩いているのでした。そして都庁の向こうに、なじみのある住友三角ビルが見えてきました。ああ、あんなに小さくなったんだと思うくらい、かつて偉容を誇った三角ビルが回りの新しいビルに囲まれて小さく見えました。

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 その横の薄くオレンジがかった背の低いビルが小田急ハイアットだと思うのですが、帰郷するときこのビルはまだ建設中でした。

 宿が都庁近くだったので、都庁の展望台に上がろうと思っていたのですが、昨夜は遅すぎて駄目でした。そして、今朝は逆に早すぎてまだ展望台が開いていません。九時半の開場まで時間をつぶすのが惜しくて、今回はあきらめることにしました。

 最大五連休のシルバーウィークが昨日で終わって、今日から世間は通常モードです。ホテルを出た時から街にはスーツ姿のサラリーマンやOLなど勤め人らしい姿が目立っていました。三井ビルのレンガ広場から西口通路は出勤する人たちのものすごい波でいっぱいでした。その人の波に抵抗するように私は一人、新宿駅に向かいました。

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 私が住んでいた頃の西口通路は、ホームレスの宿になっていました。通路から西口広場にかけて、ホームレスが段ボールの小屋を連ね、仲間同士集まってカップ酒で宴会を開いたりしていました。

 彼らは何処へ行ってしまったのか、今回はすっかり姿を見かけませんでした。かつて新宿は東でも西でもホームレスは当たり前にいて、駅のシャッターの前で寝転がったり、裏通りの飲食店のゴミを漁ったりしていました。

 私は彼らの姿を見るたびに、いつか自分もそうなるのではないかと不安になったものでした。それは私が他の人に比べて貧しく孤独だったので、よりホームレスに近い存在に思えたからでした。でも実際は、昨日までスーツを着ていたサラリーマンがあっという間にホームレスになるのだと聞きました。そしていったんホームレスになるとなかなか抜け出せないのだとも。

 上京した1971年、西口広場の学生運動はすでに沈静化していました。そしてその代わりにホームレスの段ボール小屋があたりを占拠し、制服を着た世界救世軍が道行く人たちに募金を呼びかけたりしていました。

 出勤していく大勢の人の足音で西口の通路はわーんと響いています。そのすさまじい人の行軍にさすがのホームレスも寄りつけないのでしょうか。かつての西口広場のことを思い出しながら、私はこれから荻窪に寄ろうか、それとも一気に西荻窪に行ってしまおうか迷いながら歩いていました。

 いつも上京した時は、必ず新宿駅東口、新宿通りや靖国通り、あるいは歌舞伎町などを用はなくても歩いてみるのですが、今回は宿が新宿だったにも関わらず、新宿を歩く時間は取れそうにありませんでした。


 記憶は曖昧です。歳を取れば取るほどその量は増えるのに、保持する力は年々弱っていきます。時々、思い出が現実のことであったのか、夢の中でのことであったのか分からなくなったりすることがあります。

 今回、高円寺で「ネルケン」に立ち寄ったことで、曖昧だった記憶が一つ明確になりました。もう一つ、たぶん荻窪にある「ミニヨン」という音楽喫茶の記憶が曖昧で、「ネルケン」に行く前は混同していたような気がします。

 それどころか、「ネルケン」や「ルネッサンス」に行ってから、その印象が強烈だったからでしょうか。さらに新たな疑問が生まれて来ました。「ネルケン」に行ったのは、東京に住んでいた頃のことだと思うのですが、つい最近にも来たような気がしてくるのです。

 また「ルネッサンス」が出来たのが2007年であるにもかかわらず、デジャブのように「ルネッサンス」に以前も訪れ、同じ席でコーヒーを飲んだような気がしてくるのです。たぶん、ネットで下調べした時の印象が記憶となって影響しているのではないかと思うのですが。

 荻窪南口は、駅前の喧噪とは別世界のようにのどかで穏やかな風景の記憶があります。しかし記憶は途切れ途切れで繋がりません。それが「ミニヨン」を探していた頃のことだったのか、あるいは別の時のことだったのか、判然としません。それどころか、それら記憶のひとつひとつが曖昧で、すべて夢の中のことではなかったかと思えてくるのです。

 そんな曖昧な記憶をなんども反芻していると、やがて脳の中にぶすぶすと穴が開いていくように、私が暮らした東京の8年間が、全て曖昧模糊としたものになって行ってしまう日があるような気がします。自分の生きた証を探してみても、街はどんどん変貌し、記憶は反対に薄れていくばかりです。

 新快速が止まる平日、私は荻窪を通り越して一路西荻窪に向かうことにしました。車窓から一生懸命、昔見慣れた看板や建物を探そうとしましたが、頼りない記憶をあざ笑うかのように電車は今の時を駆け抜けていきます。

 スペースを使いすぎてしまいました。西荻の話はまた次回に回すことにします。


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