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浦島そらへい東京を行く~高円寺から吉祥寺編 [旅]

 上京二日目の午後、同級生たちと別れた私は、懐かしい中央線沿線を各駅停車で移動しました。東中野、中野と歩いて次はお隣の高円寺に降り立ちました。

 この街にはそれほど深い思い出や人とのつながりはないのですが、なんとなくよく歩いた街でした。南口高架線路沿い路地を入った所に「洋燈舎」というジャズ喫茶があって、ちょくちょく通っていました。ここはLUXの真空管プリメインSQ38JBL D130+175というあこがれのオーディオが組まれたお店でした。

 もっともこの洋燈舎も、私が東京を去ってしばらくしてから来た時はもうなくなっていました。確か、ロックのお店になっていたように思うのですが、似たような路地がいくつもあって実際どの場所だったかはっきりしません。

 他にも記憶が曖昧で確かめたいと思うことがあったので、早く西荻窪に行きたい気持ちを抑えて高円寺に降りました。降りて駅前に立つとあったはずの大きなアーケードの商店街が見当たりません。え、東京でも商店街潰れているのかと少し焦ったのですが、何のことはない南口と北口、出口を間違えたのでした。

  ぼんぼちぼちぼちさんがおっしゃっていたように駅近くの中央線高架下、怪しげな界隈は今も健在でした。薄暗い通路の回りにお店がポツポツとあって一種独特の雰囲気を醸しているのですが、普通に学生や勤め人が歩いたり自転車で通り抜けたりしていました。

 その中の一件の古本屋さんは、以前見かけたお店と同じかどうか分かりませんが、なかなか骨のある店構えでした。通路に面した壁が本棚になっていて、1970年代頃に流行ったとおぼしきタイトルがずらっと並んでいました。

 その本棚は、お店の人たちからは完全なブラインド、万引きし放題なのですが、持って行けるものなら持っていってみろと言った気概を感じさせる品揃えに見えました。

 パル商店街という南口アーケードをずっと歩いて行き、最初に交差する道を右に折れ、さらに少し歩いて右に曲がると、そこに行き止まりのように見える空間が現れます。その一角に名曲喫茶ネルケンがありました。私の記憶の中では夢のように曖昧になっていたのですが、行って見るとほぼ記憶通りの道順と記憶通りのたたずまいでした。 

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 店内の様子も以前来た時とほとんど変わっていません。連休中の午後ですが、客はあまりいませんでした。老婦人が一人で店を切り盛りされているのか、注文を聞きに来てコーヒーを届けてくれました。その様子も昔と変わりないように思えました。

 店内には絵画や彫刻が飾られています。誰の曲なのか、交響曲が厳かにかかっていました。クラシック音楽、絵画、彫刻、と並ぶとなんとなく般若坊さんのブログを連想してしまいます。

 歩き疲れたこともあってもっとゆっくりしたかったのですが、旅人には時間がありません。コーヒーを飲むだけ飲むと、お店を出ました。外はすでに薄暗くさらに日暮れの気配を強めていました。

 私はその時点でこれから西荻窪に行くことをあきらめ、明日に回すことにしました。もう一件行きたいお店があったのです。アーケード街に戻ってさらに先へ進みました。思ったより近くに名曲喫茶ルネッサンスの黄色い看板を見つけることが出来ました。

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 ここは中野の「クラシック」が、2005年に閉店してその二年後に、その遺志と遺品を受け次いで開かれたお店だそうです。 店は「クラシック」と違って、地下一階にありましたが、店内の様子、調度などははやり「クラシック」を忍ばせるものがありました。

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 今時、珍しく各テープルに大きな灰皿が用意されていました。ホルストの「惑星」の後、耳になじみのチゴイネルワイゼンがかかりました。

 世間の喧噪から隔離された空間は別の時間が流れているようでした。東京に住んでいたら休みの日、こんな店で午後のひとときを過ごしてみたくなるようなお店ですね。写真には写っていませんが、若いお客も数人いました。

 ルネッサンスを出ると、外はもうほとんど暮れていました。アーケード街を元来た方向へ駅に向かって戻ります。足取りは軽く、数十年前の若者の様に早足です。少しも疲れを感じません。

 夕暮れ、知らない都会の街を一人で歩いていると、一瞬不安の様なものが過ぎります。以前ならどんなに遅くなっても、汚くて狭いけれど帰るアパートがありましたが、今はありません。

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 高円寺駅まで戻ると、すっかり暗くなった街にネオンサインの明かりが賑わっていました。せっかく来たので北口も少しだけ歩いてみます。やはり駅前にシャッターが降りた小さな間口の本屋の跡があり、路地を行った所、かつてあったとおぼしきあたりに映画館はありません。

 写真ではわかりにくいですが、正面が高円寺北口にある「高円寺純情商店街」です。昔からこんな名前だったかなと思って調べてみたら、昔は『高円寺銀座商店街』だったそうです。ねじめ正一さんの小説の舞台となって、この名に変わったようです。

 中央線快速は、休日、高円寺には止まらないので、結局ずっと総武線各停に乗って、阿佐ヶ谷、西荻窪を通り越してもう夜のとばりに包まれた吉祥寺に向かいました。

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 サンロード入り口です。暗くなっても相変わらずたくさんの人たちですね。そして歩いている人たちが若いです。とうぜんですが。

 吉祥寺の街中を歩いていたら、diskUNIONの看板が目にとまりました。今回の旅行でdiskUNION、audioUNIONにも寄ってみたくて、新宿の店は検索してあったのですが、思いがけず吉祥寺で見つけたので入って見ることにしました。

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 店内はたくさんのレコードとCD、それに音楽関係の中古雑誌や書籍が置かれていました。レコードの棚の前に立って、すぐに荷物になるので買えないなぁと思いました。レコードは、オリジナルや稀少盤でもない限り、安いように思えました。

 「FUNKY」です。場所は同じかどうか知りませんが、かつてはジャズ喫茶だったお店ですが、今はこじゃれた飲み屋さん風になっていて、ちょっと一人で入るには敷居が高く思え、スルーしました。

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 次に見つけたのがSOMETIMEです。こちらも昔はジャズ喫茶でしたが、今はライブハウスになっているようです。以前に来ているはずですが、街並みが変わり、夜と言うこともあって探すのに少し手間取りました。今は知りませんが、以前はFUNKYと同じ経営者でした。

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 緑色の広告ボックスに見覚えがあるような気がします。地下を降りていくと奏者のいないステージで楽器たちが静かに出番を待っていました。

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 レンガ造りの倉庫のような内装は昔とたぶん同じではないかと思います。演奏が始まっていない店内に軽くジャズが流れていて、以前の大音量のジャズ喫茶ではありません。

 私が入店した頃は、客席まばらでしたが、演奏時間が近づくにつれ次第に席が埋まっていきました。今日の演奏者のファンや知り合いの方も見えているようです。

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 ジャズ喫茶ならコーヒーなのですが、ここではやはりアルコールが似合うだろうと言うことで、とりあえずビールとポテトチップスを頼んでみました。

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 鈴木良雄(b)カルテットです。井上信平(flt)、野力奏一(p)、岡部洋一(perc)

 久しぶりのライブでした。演奏者のごく近くで迫力満点です。お酒を飲みながらリラックスして聞いてましたが、演奏はかなり熱演でしたね。

 せっかく上京するので、出来たらブログでお知り合いになったジャズピアニスト小野孝司さんのライブに行きたいと思っていたのですが、ご本人のスケジュールと私の上京のタイミングが合いませんでした。と言うか、後で調べてみたら小野さんが東京で本拠地にされている銀座 CYGNUSというライブハウス、シルバーウィークの連休中はお休みなのでした。

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 ツーステージあったのですが、時間がないのでワンステージだけ聞いてサムタイムを後にしました。そのまま、吉祥寺の駅に向かえば良かったのですが、もう一件「メグ」を探してみました。ここは寺島靖国さんのお店です。東京在住中も入ったことあるのですが、もう場所も店の様子もすっかり忘れています。

 しかし、なかなか見つかりませんでした。吉祥寺の夜も更け始めて人通りも少し減ってきているようでした。スマホのナビの案内でようやく近づいたと思ったら、通りのあちこちに黒服がいて、盛んに客引きをしてきます。とても奥まで進める状況ではなかったので、あきらめて駅に戻りました。

 時刻はもう九時半を過ぎていました。新宿方面行き快速に乗り、大急ぎで向かったにもかかわらず、カレーの店「ガンジー」の明かりは消えていました。

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 以前来た時は昼間だったのでオーナーのkazuoさんいませんでしたが、ひょっとしたら夜ならいるかと思って期待していたのですが、少し吉祥寺で長居しすぎたようです。




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ひと休みして、秋 [日々]

_DSC0044.JPG ユズリハでしょうか。

_DSC0047.JPG アケビ

_DSC0108.JPG ヤマブドウと思ったのですが、葉っぱのかたちが違うようです。クスノキ?

_DSC0109.JPG こちらがヤマブドウ?

_DSC0114.JPG クサギ

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_DSC0116.JPG いつものお気に入りの山道

_DSC0120.JPG ガマズミ?

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_DSC0132.JPG クコ?

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 ほぼ20年ぶりに上京して、早いものでもう一月が経とうとしています。そして、東京レポートを書いている間に、秋はどんどん進んでいます。今年は残暑がなかったせいで秋の訪れが早く、かつ長く感じられます。まだ紅葉はほんの一部のことです。

 久しぶりに山へ行って来ました。と言っても、知り合いの鳥見さんから、アカメガシワの木の実を求めてキビタキやエゾビタキが来ていると教えられて裏山に上がったのは少し前のことです。

 確かにアカメガシワの木におびただしいほど野鳥が飛び交っていたのですが、カメラを構えていると、道の向こうから散歩をしている老夫婦がやってきました。無視してやり過ごそうとしたら、ご主人が顔見知りの方でした。何を撮っているのか話しかけてきました。

 仕方なし、少し立ち話、ようやく開放されたときには、鳥影はほとんどありませんでした。かろうじて捉えたのはおなじみのヤマガラとメジロ、しかもまともな写真がありませんでした。

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_DSC0063.JPG アカメガシワの実を啄むヤマガラ

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2015-10-10 13.36.48.jpg  先週の土曜日は、チケットをもらったので京都市立美術館へマグリット展に行ってきました。最近、美術展も年一回のペースです。

_DSC0107.JPG インクラインを歩く観光客、京都もまだ紅葉には早かったですね。

 9月10月の間に、我が家の畑もすっかり秋冬野菜の畝に変わりました。ほうれん草、小松菜、白菜、キャベツ、ブロッコリ、大根、カブ、絹さや、エンドウ、ソラマメ、そして最後にイチゴを植えました。

_DSC0181.JPG 里ではコスモスが満開です。

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 家の周りでは、桜の木がすっかり葉を落としてしまいました。

_DSC0259.JPG よその桜の葉は紅葉して落葉し始めていますが、我が家の桜は九月にはもうこの有様でした。そばにいても、ぽたぽたと糞が落ちる音がするくらい大量の毛虫に葉を食い荒らされたのです。来年の花、大丈夫なんでしょうか。

_DSC0272.JPG ミゾソバが濡れているのは朝露のせいです。

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 _DSC0261.JPG 朝日を浴びたお茶の花

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 当地はずっと良いお天気が続いています。静かに秋が深まっていきます。


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浦島そらへい東京を行く~中野編 [旅]

 東中野は二十代前半から中頃まで4年ほど過ごした街でした。中央線沿線では、どちらかと言うと、下町色の濃い街だったと思います。ジャズ喫茶に通い始めたり、オーディオに凝り出したのもこの頃のことでした。

 アパートは駅に近く、食堂や銭湯も近くにあって利便性は良かったのですが、部屋そのものは最悪でした。押し入れの小さい四畳半は使いかってが悪く、部屋の入り口脇に申し訳程度に取り付けられた流し台はなぜか時々水が出なくなることがありました。もちろん、風呂はなくトイレさえ共同でした。

 何よりこの部屋の欠点は夏の西日でした。午後になると西日が直接あたり、窓の下に広がった瓦屋根の照り返しと相まって、部屋にいるだけで汗が噴き出るのでした。当時のことですから、ボロアパートにエアコンなどあるはずもありません。

 仕事に行っている間は、帰りも遅いのでそれほど気にならないのですが、休みの日は昼までに部屋を脱出しないととても居られませんでした。逃げるようアパートを飛び出して、とりあえず冷房が効いたところへ向かいます。おおかたは、ジャズ喫茶をはしごしたり、三本立ての名画座などで時を過ごし、夏の熱気が収まるまでアパートに戻れないのでした。

 東中野では思い出深い人たちとの出会いがいくつかありましたが、東京での人と人の出会いは、田舎とは違ってとりとめがないものでした。人生そのもののように出会っては別れの繰り返し、皆、それが暗黙のルールであるかのように、無言のままいつしか別れてしまうことが多かったように思います。それに、今のように携帯電話もメールもありませんでした。

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 東中野の次は中野に降りました。東京の一区間は田舎に比べると短いので、昔は時々東中野から歩いて中野に来たり、新宿西口から歩いて東中野のアパートに戻ったりしてましたね。東京の裏通りのようないろいろな街並を歩くのも面白かったです。

 写真は中野北口駅前です。駅からサンモールのアーケード街に続く通路に屋根が出来ていました。以前来たときはなかったものです。昔は、今は空間になっている右手に公衆電話ボックスがずらっと並んでいたものですが、さすがに今は一台もありません。

 まずアーケードを抜けてブロードウェイに上がってみました。入り口のエスカレーターを上がるといきなり三階に達します。エスカレーターを降りてすぐ左手が明屋書店と記憶していたのですが、もう少し先にありました。記憶は印象の強い物を優先するのか、その間の細々とした物がよく抜け落ちています。

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 ブロードウェイ二階の渡り廊下から、見下ろしたところ。

 私が通っていた頃のブロードウェイは、ファッションや食べ物屋さんなどが並んだおしゃれなショッピング街でしたが、今ではすっかりマニア向けの街になっていました。漫画、キャラクター、フィギアなどを売る店がいくつも並び、休日と言うこともあって大勢の若い人たちが行き交っていました。

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 鉄人28号のレプリカが入り口で迎えているマンダラケのひとつ。

 私には、ほとんど用がないブロードウェイの探索はあっさり片を付けて、サンモールから短い路地を抜けて中野通りに出ました。昔と同じように中野サンプラザの片側だけが傾斜した建物が目の前にそびえていました。

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 サンモールの通りと中野通りを結ぶ路地はいくつかあるのですが、そのうちのどれかに昔、「クラシックという有名な名曲喫茶がありました。今にも崩れそうな外観の木造の建物でした。

 何度か入った事があるのですが、調べてみると2005年に閉店したのだそうで今は跡形もありません。今から10年前と言うことは、この前に私が上京した時はまだあったことになります。建物はあったが閉店していたような気がするのですが定かではありません。

 中野通りのサンプラザとは反対の舗道に面したビルの一角、二階に「アミ」という喫茶店がありました。品の良いご夫婦がやっておられて、サイホン式の丁寧なコーヒーが出されていました。私はここで何度か待ち合わせをした事があります。

 前回来た時だったかその前だったか忘れましたが、まだ営業されていました。思い出の店は、昔に比べて狭く暗く見えました。中野通りに面した見晴らしのよい窓も、思ったより小さいものでした。そして、ご夫婦はかなりお年を召されていました。

 今回、何度もこの辺りとおぼしき所を行き来してみたのですが、見つけられませんでした。以前来た時からもう20年近く経っています。さらにここで待ち合わせをしていた24歳の青年は、今年もう64歳になっているのですから、仕方のないことなのだと思います。

 それでも思い出の店がなくなっているというのは、寂しいものですね。少し感傷的な気分になりながら、駅前に戻り、陸橋をエスカレーターで上り、陸橋の上から中野通りと中野サンプラザを仰いで見ました。

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 交通量の多い中野通りを横切らないで、エスカレーターのある陸橋を渡って、中野サンプラザや区役所へ行けるのはかなり便利ですね。この陸橋はもちろん以前はなく、中野北口駅前の様子をかなり大きく変えています。

 中野サンプラザではいくつかのコンサートに行きました。この建物、近く取り壊されるのだそうですが、中野駅前の象徴が消えるようで淋しいですね。その隣の区役所の建物もかなり古びて見えます。

 祭日なので区役所の人の出入りはありませんが、その前の新しく出来た幅広い通路を若い人たちの波が次から次へと駅に向かっています。区役所の奥に出来た大学の学生たちでしょうか。

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 区役所前の駐輪場です。この辺、駐輪場や幅の広い舗道になっていますが、以前はちょっとした公園になっていて、私はそこでキャッチボールをして遊んだことがあります。

 サンモールに戻って、中野通りとは反対方向に伸びた路地に入ります。この辺、以前は薄暗い連れ込みホテルなどがあったのですが、今はほとんど飲食店になっていました。中に中古カメラやレンズを扱うお店があり、ちょっとだけ覗いてみました。祭日と言うこともあって、けっこう賑わっていました。

 たくさんの路地がサンモールのアーケード街からにょきにょきと生えていて、そのうちのどの通りがかつて名画座、武蔵野館や、一番よく通ったジャズ喫茶「ビアズレーがあった通りなのか、今ではとても特定できません。

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 路地は、どれもサンモールから直角に伸びて次の通りに接しているのですが、一カ所だけ、途中で枝分かれして不思議な空間をかたちづくっている一角があります。その空間の入り口にあるmaroという喫茶店、ここは少したむろしたことがあります。外装、内装、昔のままかどうか記憶が曖昧です。

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 喫茶店maroを通り過ぎた先はちいさな広場のようになっています。ここの雰囲気は昔のままです。レコードCDの店「文化堂」はたたずまいからして変わっていません。もっとも当時まだCDは発売されていなかったので、庇の文字は後から書き足されたか直されたものだと思います。

 文化堂が昔のまま残っていると言うことは、今回上京する少し前にkurakichiさんがアップされたブログ記事で知っていたのですが、その画像をみたらよけい訪ねて見たくなりました。

 ここで買ったモーツァルトのクラリネット五重奏のレコードにはちょっと苦い思い出があります。文化堂で買って、東中野のアパートでかけたら音飛びしたのです。買ってすぐ音飛びがするレコードなんていくら中古でも困ると思って、次の休みか何かに文化堂まで苦情を言いに行きました。

 やや小柄で痩せた店主のおやじさんは、私が音飛びがすると言うと、苦笑しながらそんなことは無い。あなたのプレーヤーが悪いのではないか、と失礼なことをおっしゃいました。

 私も自分のシステムには自信があったのです。そんじょそこらのプレーヤーではありません。苦労して買った自慢のマイクロのプレーヤーMR-411です。

 おやじさんは確かめるために、お店備え付けのプレーヤーでかけてくれました。しかし、こことおぼしき所はおろか、何処まで行っても音飛びしません。とうとう片面の演奏が無事終了してしまいました。私の完敗です。私は、取り出したレコードをしまってすごすごと帰りました。

 私は、その後、カートリッジかレコード針を交換したと思います。今から思うと、文化堂のプレーヤーはたぶんMCカートリッジを使っていたのではないかと思います。後年、MCカートリッジを使うようになって、MMカートリッジでは音飛びしていたレコードが音飛びしなくなったことに気づきましたから。

 文化堂の右隣のお店は今、小料理屋さんになっていますが、昔、スナックでちょっとした知り合いが勤めていたことがあります。その頃は洋風で白いガラス戸だったと思います。

 文化堂の入り口の開き戸は、少し開いていてそれ以上空かないようにブロックか何かが置かれていました。それをどけて中に入ると、扉に取り付けられた鈴が鳴って中から白髪の老婦人が顔を出しました。あの時のご主人の奥さんでしょうか。

 「うちはクラシックを専門にしていますのよ。何かご案内しましょうか」と言われます。私は、久しぶりに上京して、ここのお店が営業されていたので懐かしくなって入ったことを伝えました。

 それから東京や中野の変化の話、私が滋賀から来たというと、滋賀はいいところだとおっしゃって、水は琵琶湖の水を飲まれるのですか、などと反対に質問されたりしました。びわ湖ホールでオペラを聴きたいが日帰りが出来るか聞かれたので、マチネーならともかく夜の公演ではむりではないかと答えました。

 少しお喋りをして、それではお元気でと互いに挨拶して店を出ましたが、せっかく入ったのに何も買う事が出来ませんでした。店内を見回して、ジャズも少しはありそうでした。ポピュラーではクリストファークロスの赤い鳥の絵が描かれたおなじみのジャケットが目に入りました。

 しかし、荷物になることを思うと探す気になれませんでした。CDも置いてあったので、CDなら荷物にならなかったのにと、気づいたのは文化堂を辞してずっと後の事でした。



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 次の駅に向かうため、総武線のホームから中野駅南口を撮ったところです。南口はなぜかあまり縁がありませんでした。日が傾き始め中野通りがビルの影に覆われています。


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浦島そらへい東京を行く~東中野編 [旅]

 午後2時頃だったでしょうか、ようやくと言うべきか名残惜しいと言うべきか、賑やかで元気な同級生たちと東京駅で別れました。はやる気持ちを抑えて、撮り損なうといけないので、まずはリニューアルなった東京駅を記念撮影するため丸の内側へ出ました。

_DSC0231-001.JPG以前の東京駅がどんなだったかあまり記憶がありません。いつも工事中でレンガの建物の一部しか見かけなかったような気がします。私がいた当時は丸の内と言えばオフィス街一辺倒だったので丸の内は縁のない所でした。ただ、八角形のドーム天井は見上げた記憶があります。もちろん、こんなに明るく綺麗ではなく、もっと暗くくすんでいたと思います。

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 お上りさん丸出しの写真を撮り終えていよいよ中央線快速です。昔の中央線というと車体はオレンジ一色でした。今は銀色ボディにオレンジのラインが入っています。連休中の東京駅の混雑に比べると中央線の車内は思ったより空いていました。

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 昔より広くなったように感じる車内はいつもながら様々な人たちが思い思いの格好で乗っています。座ろうと思えば座れたのに車窓の景色見たさにつり革にぶら下がっていると、私のそばで開催されたばかりのモネ展の話をしている男女がいました。

 中央線や山手線に乗って、老若男女入り交じった乗客を見回していると、昔、あの中に僕がいたのだ、と東京に来るたびに思ったものですが、今回は時間が経ちすぎていてそんな感慨も湧いてきません。

 今夜の宿は西新宿です。荷物を預けたいのですがチェックインには間がありますし、駅から少し距離があるホテルなのでどうしようか迷いました。新宿に降りてしまうとまた、そこで時間を食ってしまうような気がしました。

 車内アナウンスが中央線快速は、休日のため、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪には止まりませんと言っています。そう言えばそうでした。もうすっかり忘れています。

 忘れていると言えば、もう一つ、新宿駅で鈍行の総武線に乗り換える時、総武線のホームがなかなか見つかりません。コンコースを端まで歩いてやっと見つけたとき、新宿駅では、快速の中央線と鈍行の総武線のホームが端から端に離れていたことを思い出しました。

 久しぶりの東京です。細かいところまでたどれば、行きたい所は数限りなくあるのですが、時間は限られています。今回は中央線沿線だけに絞ることにしました。

 まず総武線に乗り換えて、中央線沿い一番最初に住んだ東中野に降り立つことにしました。かつての東中野駅は何もないただの木造跨線橋上駅で中野(西口)よりと新宿(東口)よりに改札があり、改札を出てからそれぞれ北と南に出口階段がありました。住んでいたアパートは東口北側だったのでまずそちらに降りました。

2015-09-23 14.44.17.jpg東口の改札を出たところです。今は皆自動改札ですね。自動改札が進んだのは関西の方が早かったような気がします。私は関西なのでJRのICカードはSUICAではなくICOCAですが、SUICAエリアでも問題なく使えました。東京での移動、いちいち切符を買ったり小銭の用意をしなくて済むのでずいぶん助かりました。

 約20年ほど前来たときはまだここまで便利になっていなかったと思います。この20年の間にパソコンはどんどん進化し、携帯やスマホなどが普及してずいぶんいろいろな事が変わりました。

2015-09-23 14.44.11.jpg東口改札を出たところに駅カフェです。以前、この場所は定期券などを購入する駅事務所でした。その右手のポスター掲示版に、石川さゆりさんデビュー間もない頃の顔を大きくクローズアップしたモノクロ写真のポスターが掲示されていたのを鮮明に覚えています。彼女はまだショートカットで演歌を歌う前か、歌っていても洋装で歌っていた頃です。犯罪撲滅か何かのキャンペーンのポスターだったと思います。

2015-09-23 14.45.09.jpg東口北側に降り立った所です。並んでいる店はすっかり変わっていますが通りの雰囲気は昔とさほど変わっていません。画面の右手が坂になっていて、下の道路沿いに有名な結婚式場、日本閣が今もあります。私がかつて住んでいたアパートは写真の道を道なりに左に曲がっていきます。

2015-09-23 14.45.41.jpgみどり書房、そんな名前だったでしょうか。アパートから一番近い書店で、時々スイングジャーナルなどを買いに行ってました。昔はよくあった駅前数坪の小さな書店で、おじさんが一人で店を切り盛りしていました。

 今回どこの街を歩いても、このように駅前の書店が閉鎖してシャッターを下ろして姿をよく見かけました。建替えもされず、そのまま残っているのは、坪数が小さすぎてそのままでは開発出来ないからでしょうか。時代の流れを感じさせる光景のひとつです。この書店に並んであった、中華料理店や食堂などもさすがに跡形もありません。

2015-09-23 14.45.55.jpg路地の入り口には、給料日前になるとよく利用していた安い定食屋さんがあり、奥は飲み屋さんが軒を並べていました。当時よく遊んだhataさんとこの路地の中のお店で飲んだことなどを思い出します。

 信号機のある最初の交差点を左に曲がった所に私のアパートはありました。まっすぐ行くと地下鉄東西線落合駅、もっと行くと西武線の中井駅などがあります。私はせっかくアクセスのよい東中野駅前にアパートを構えたのに、勤め先は日本橋だったので、わざわざ遠い地下鉄東西線の落合駅まで毎日歩いたのでした。

2015-09-23 14.51.35.jpgこの道を行くと地下に東西線が走っている早稲田通りにぶつかります。

2015-09-23 14.51.16.jpg写真は交差点をアパートのあった路地に入ったところです。振り返った交差点は信号機のある交差点なのですが、その昔、この交差点で盆踊りが催されていたのを覚えています。我々田舎の盆踊りよりずっと明るくて賑やかなので二重に驚いたものです。

2015-09-23 14.48.29.jpgここが私がかつて住んでいたアパートがあったところです。以前、来た時にぼろアパートはなくなって、このマンションに建替えられていることは確認済みでした。その根拠は住んでいたアパートがパール荘と言ったからです。木造から鉄筋に建替えて、荘からハイムに出世したのだと思います。

 以前は手前にアパートの大家さんが営む散髪屋さんと大家さんの宅地があり、その奥に木造二階建てのパール荘があったのですが、敷地全部利用してこのハイムパールに建替えられたようです。

2015-09-23 14.49.56.jpgお隣の銭湯は今はアクアという新しい形の総合的な銭湯になっていました。アパートの西隣に、夫婦で営むラーメン店がありましたが、今は散髪店になっていました。位置的にずれがあるのですが、大家さんの散髪店が移転したのなら代替わりしていると思います。

 アパートのお向かいは、パン屋さん、魚屋さん、八百屋さんなどが集まった小さな市場だったのですが、今は跡形もなく、代わりに住宅が何軒か建っていました。また、その横はちょっとした空き地になっていて、奥に懇意にしてもらっていたお気に入りの定食屋さんがあったのですが、そこも以前来たときはコインパーキングになっていました。さらに今は住宅に変わっています。

 かつて住んでいたアパートの近辺の変わり様の無惨さは、前回来たときに承知していたことでしたが、今回さらにその度合いを強めていることを確認しに来たようなものでした。

 次に駅の回りを歩いてみることにしました。上り坂になった線路沿いの道を山手通りに向かって歩きました。通り沿いには不動産屋さんが今でもありましたが、かつてあったレコード店はあるはずもありません。

2015-09-23 14.57.53.jpgこの建物にはかつて「あかつき書店」が入っていたと思います。当時としては広くて垢抜けたかんじのする新しい書店でした。講談社から出ていた「世界の素描」シリーズをここで揃えました。今でも私の本棚に残っています。

2015-09-23 14.58.57.jpg山手通りに面した現在の東中野駅の表玄関です。昔はちょっとした自転車置き場と改札、それに何か小さなお店があったように思います。今は駅前にロータリーができ、立派なビルが建って様変わりですね。しかも今は都営大江戸線が乗り入れしているそうです。

2015-09-23 14.59.56.jpg山手通りを挟んで駅の反対側です。ファミリーマートのあるところだったか、その隣のビルのあたりだったか、今はほとんど面影がありませんが、そのあたりにアルバイトをした書店、青林堂がありました。

 数ヶ月のアルバイトでしたが、銀行を辞め書店勤めしていたogawaさんと親しくさせていただきました。アメリカに料理修業に行っている息子さんと私が同じ歳ということで何かと可愛がっていただきましたが、引っ越して疎遠になったまま、私が在京中に亡くなられたと風の便りに聞きました。

 また、ここのお店にはロシア人の娘さんがいて、てっきり留学生だと思っていたら、書店あるじの老夫婦の娘さんと聞いて驚きました。訳があって、孤児だったのを老夫婦が引きとって育てられていると聞きました。歳は私より下でしたが、西洋の血を引いているので大柄で綺麗な子でしたね。

 駅の南側はあまりなじみがないのですが、線路沿いに当時でもかなり古いたたずまいのコーヒー店があり、白い割烹着を着た年配の女性が営んでいました。一度しか行ったことがなかったのですが印象的なお店でしたね。

 また、線路沿い南側のビルの中に今はなきFR(フィデリティ・リサーチ)のビルがありました。何気なく歩いていて偶然見つけて、嬉しくなり何度もその建物の周りをうろついた覚えがあります。カートリッジのひとつくらい落ちているのじゃないかと。

 東中野にはそれこそここでは書き切れないほどいろいろな思い出があるのですが、ちょっと不思議なエピソードがひとつあります。先ほどの東口北側を降りて、右手の方に行くと、日本閣に面する道路へ降りる階段があると言いましたが、その途中に当時煙草の自販機がありました。

 ある日のこと、私は駅を降りてアパートに帰る途中、煙草を買おうと自販機の方へ行きました。私の前に先客があり、一人の女の人が自販機の前に立って操作していました。私は後ろというか傍らで待っていました。

 彼女が操作を終え、取り出し口から煙草を取り出したので、歩を進めようとすると、急にその女性が振り返って、「はい」と言って私に煙草ケース一個差し出しました。

 意味が分からずぽかんとしていると、彼女はほほえみながら、「いるんでしょ」と言って、私に向かって煙草を更に差し出します。私は曖昧に頷いて彼女から煙草を受け取りました。煙草を渡すと彼女はさっさと下りになった道を降りていきました。

 見ず知らず、行きずりの女性に煙草をもらったのも驚きのひとつでしたが、さらに驚いたのが私に向かって「はい」と煙草を差し出し「いるんでしょ」と言ってほほえんだ女性の顔が天地真理に似ていたのです。

 もっとも時刻は夕方でしたし、彼女は帽子のような物を被っていたと思います。まさかと思いますし、有名人に似た格好や化粧をする人はいますので私は他人のそら似と思っていました。

 今回、東中野編を書くに当たって、このエピソードを思い出したので、「東中野」、「天地真理」で検索してみると、昭和56年、女性セブンの記者が当時、天地真理の母親が東中野駅前のマンションに住んでいて、訪ねてきた天地真理にインタビューしたという記事にぶつかりました。時期的にはぴたりと符合しますが、果たしてあの女性は本当に天地真理だったのでしょうか。  


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浦島そらへい東京を行く~2日目午前 [旅]

 2日目は一人になって懐かしい地を回ろうと思っていたのですが、一緒に宿泊した同級生軍団から、単独行動のお許しが出ませんでした。皆で築地に行ってそこで昼ご飯を食べようと言うことになりました。

 8年ほどの東京生活でしたが、築地は行ったことがありませんでした。私がいた頃の築地は今のような人気はなく、ただの大きな魚河岸で一般の人が気安く訪れる所ではなかったと思います。

 東京に行くにしても、ただ懐かしい地を歩くだけではなく、何か新しい観光もひとつはしたいと思っていたので、築地はちょうど良い観光になると思いました。

 以前の記憶では、築地は銀座の奥の方だったとかすかな土地勘があったので、スマホのナビを使いながら案内することになりました。東京駅、八重洲口から日本橋京橋、銀座と中央通りを歩きたかったのですが、他の意見もあって、初めは裏道を斜めに通って、京橋あたりから中央通りに出ました。

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 回りの建物が高くなったせいでしょうか。銀座通りを歩いてみてもなんとなく以前と印象が違うような気がします。道路幅が狭く感じるのです。半信半疑で歩いていると、銀座一丁目の交番があったり伊東屋の看板が見えてきてほっとしました。

 伊東屋、以前来たときよりずいぶん印象が変わっていました。明るくオープンな雰囲気になっています。今年の6月にリニューアルされたところだそうです。

 ティファニーやカルチェには簡単に入れませんので、その隣の伊東屋に皆を誘って入ってみました。1.2階ではおしゃれなカードや封筒などが売られていました。おしゃれで面白そうな文具がありそうで、もっと上階にも行ってみたかったのですが、時間がないので今回はパスすることにしました。

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 銀座通りを闊歩する我が同級生軍団です。怖いので顔はモザイクをかけておきます。

 私たちは中学の同級生なので、修学旅行は東京でした。ちょうどこの銀座通りをバスで通ったのでした。その時、車窓から当時の銀座通りの象徴だった三愛ビルが見えました。今も三越角の交差点の反対側に三愛ビルはありましたが、皆それと気づいていません。回りの建物が大きくなって埋もれてしまっているのです。

 三愛ビルのある四丁目の交差点を左に折れて築地方面に向かうことにしました。しばらく歩くと左手に歌舞伎座が見えました。新しい歌舞伎座、もちろん初めてです。

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 当たり前ですが、はとバスもおしゃれになっています。

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 軍団の一人が歩き疲れたというので、新橋演舞場の前の小さな公園のベンチで小休止と記念写真を撮りました。

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 気持ちの良い青空でした。家を出てくる時は長袖も用意していたのですが半袖で十分でした。ベンチに腰掛けていると、大きな車が通るたびに足下が揺れます。ここは元、橋の上なのでしょうか。

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 いよいよ築地です。人通りの少なかった銀座通りとは対照的に大勢の人の波です。

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 かなり混み合い、入り組んで雑然としています。でもこれが築地の魅力なのでしょうね。移転すると言う話ですが、移転したら綺麗になってしまって、このような雑多な魅力がなくなってしまうのではないでしょうか。

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 波除神社、昔は海にかなり接近していたのでしょうね。

 通りに並ぶお店では、海産物の他に松茸なども売られていました。狭い通り、賑わい、ちょっとアメ横の魚河岸版の趣です。我が軍団は通りのこ綺麗なお店には見向きもせず、入り組んだ通路を奥へ奥へと進んでいきます。

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 ここが昼飯を食べる予定の寿司屋さんです。しかし、すでに10人前後の列が出来ていました。中はカウンターだけで15人も座ればいっぱいになりそうです。待っている間、同級生同士、馬鹿話をしていました。だから一時間も待ったようには思えませんでした。

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 ようやく座ることが出来て、次々に出てくる握りのおいしいこと、1時間待った甲斐がありましたね。ネタが口の中でとろけるようでした。いつも回転寿司しか知らない私にはその差が歴然と分かりました。

 すし処「おかめ」さん、創業60年だそうです。江戸弁が気持ちよい板前さん、話術もうまくて面白く、おいしくて楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 同級生軍団の何人かは以前もここへ来ているのだそうです。お店自体は長屋の一角にあって決して綺麗ではないのですが、味は本物だと思います。同じ長屋の並びに「寿司大」という寿司屋さんがあって、そこはいつ来ても長蛇の列の超人気店なのだそうです。

 私一人では築地に来ると言う発想はなかったと思います。来てもこんな奥まではとても来れなかったでしょうし、この寿司やさんも知らなければ、知っていたとしても1時間も待つことが出来なかったと思います。これも連れてきてくれた同級生たちのおかげです。

 私たちは、その後築地の店を冷やかしながら、帰りの新幹線に間に合うように東京駅へ戻りました。そしてコインロッカーで皆を見送って、いよいよ私一人の東京の旅のスタートですが、その話はまた次にすることにします。


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浦島そらへい東京を行く~1日目 [旅]

 前週までぐずついた天気が続いていたのにシルバーウィークに入ると、さわやかな秋晴れの日が現れるようになりました。シルバーウィーク、今年は土日と繋がって5連休になりました。そのど真ん中、22日は山中愼介選手のタイトルマッチが組まれていました。

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 東京でのタイトルマッチ、今までなら自宅でテレビ観戦でしたが、いつも応援に行っている数人の同級生たちに誘われて、思い切って参加することにしました。もちろん表向きはタイトルマッチ観戦ですが、実は久しぶりの東京に会いたいと言う下心がありました。

 シルバーウィークのど真ん中と言うことで京都駅も、新幹線も人でごった返していました。ここしばらく列車の旅をしたことがなかったり、人混みを避けて田舎に引きこもり放しの私にとっては、連休中の人の多さと騒々しさに辟易でした。

 新幹線の中も、いつもならビジネススーツを着た人で埋まっているのに、カラフルな服を着てたくさんの荷物を持った旅行者でいっぱいでした。我が孫と同じくらいの乳幼児を連れた親子連れも目立ちましたね。

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 東京へは6年ほど前にお寺のバス旅行で芝、増上寺上野に行っていますが、団体旅行でほとんど自由はありませんでした。新幹線に乗って上京するのは本当に久しぶりです。前回は何年前だったのか、50代はありませんでしたからたぶん20年振りに近いと思います。 

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 新幹線で上京というと、いつも左の窓際の席しか記憶がないのは、他の席では眠っていたのだと思います。いつ頃上京したときだったか、たぶん前回だったのではと思うのですが、新幹線が東京が近づいてくると車窓、曇り空の下に摩天楼のようなビル群が現れました。

 それが進化した新宿副都心の姿と気づいたときは今更のように驚きました。何せ私が東京を去ったときは、高層ビルは池袋サンシャインと霞ヶ関、そして新宿の4,5棟で都庁さえ建っていなかったのですから。

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 今回その姿をもう一度見たいと思ったのですが、あれからさらに20年近くが経っています。居眠っていて見逃したのか、その手前に何本もの高層ビルが林立していたので遮られて遠景を見ることも出来なかったのか、確認できませんでした。

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 新幹線がぐんとスピードを緩めて、車窓の両側にビルの壁が現れるようになります。滑るように進んでいく車内で到着が間近のチャイムとアナウンスが流れます。ああ東京に来たのだなぁと思う瞬間ですね。東京在住の頃、帰省から戻ってくるとき、何度このチャイムとアナウンスを聞いたことか。

 東京駅まで行くつもりでしたが、同級生がホテルを試合会場の大田区体育館近くに取っていてくれていたので、品川で降りて京浜東北線で蒲田まで行きました。浦島太郎のような話がどんどん出てきますが、私は新幹線が品川に止まると言うことをつい最近まで知りませんでした。

 蒲田というと「蒲田行進曲」です。当時見た日本映画の中では抜群に面白かったですね。ホームの発車メロディも「蒲田行進曲」が流れていました。東京在住時、この駅に降りた記憶はありません。スマホのナビで案内してもらって、同級生が待つホテルにたどりつきました。

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 とりあえず、チェックインして後は、近所の居酒屋で試合前に軽く一杯。タクシーを拾うほどでもないと言うことで歩いて大田区体育館へ行きました。入り口で、具志堅用高さんがベージュのスーツを着て電話してる姿がありました。

 山中愼介選手が大田区体育館でするのは二度目だそうです。以前も応援に行った連中によると、コンパクトで一番見やすい会場ということでしたが、中に入ってみると確かに二階席でも近くて臨場感がありました。300ミリ望遠でもなんとか選手を捉えることが出来ました。

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 会場では地元から日帰りの弾丸バス応援団の人たち、東京の応援団、それから我我、愼介オヤジ同級生軍団が集まって、大盛り上がりでした。とくに、終盤劣勢だったので、シンスケ、シンスケの大合唱でした。

 試合の方は、何とか勝てました。と言うか、応援に行った我我としては、最後はもう勝てれば何でも良いと言う感じでしたね。そしてどっと疲れが出ました。

 勝てないとその後の予定がいろいろ狂います。我我応援団の本日のメインイベント祝勝会が出来なくなります。もっともその場合は、残念会が催されたでしょうが。

 その後、蒲田の街を歩き、カラオケなどにも寄ってホテルに帰ったのはいつもの通り日付を越えていました。続きはまた明日です。

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